ペンギン三部作

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坂崎千春さん(中編)

前編に続く中編の今回は、デザインを学んだ大学時代の話から、就職、デビュー作「ペンギンゴコロ」の出版、そしてJR東日本のSuicaのペンギン誕生秘話まで。坂崎千春さんの内面のことまでお話を聞かせてもらった。(聞き手:小林里咲 /写真:近浦啓 / 収録:2007年4月23日)

大学の頃は、絵やデザインそのものに対する情熱があまりないということがコンプレックスでした

―坂崎さんは大学でデザインの勉強をされたということですが、その進路を決めた動機は何だったのでしょうか?

高校の時に進路を考えたときに、本に関わっていたいという気持ちがありました。ただそのころは、自分で文章を書くことは無理だと思っていたんです。挿絵とかカット的なものや、本のデザインとか技術的なものなら学べば自分にもできるのではないかと思ったんです。
それからですかね、大学に行ってデザインの勉強をしようという方向が定まってきたのは。

―大学に行ってからは、絵を仕事にしたいと強く意識し始めましたか?

初めはまだそこまで強く思えなかったですね。絵を仕事にできれば嬉しいけれど、自分にはそういう才能はないんじゃないかと思っていました。周りにすごい人や絵がうまい人がたくさんいて「私には無理無理。」と思ってたんです。それに、野心がすごくあったわけでもなかったですね。
そのころは、絵やデザインそのものに対する情熱があまりないということがコンプレックスでした。そのことに後ろめたさを感じていました。大学でグラフィックデザイナーの誰々が・・と言われてもその時初めて知る、という感じで、デザインというものに興味があまりなかったことに気づかされました。好きな物語や小説家についての話ならできるけど、そういうことに興味のある人は周りにいなくかったんです。もしかして私の居場所はここじゃないのかも?なんて思ったりもしました(笑)。

自分の思いは絵で表すより、言葉で言いたい

―そんな中で絵本を描くようになったきっかけはどういうものだったんですか?

3年生の授業で絵本を作ったんですが、私が作った絵本が周りの友達や先生に結構評価されたんです。そのときに、絵と文で何かを表現することなら、自分にはできるかもしれないと思い始めました。それと、自分の思いは絵で表すより、言葉で言いたいという気持ちがありましたね。

―その時はどんな本が好きだったんですか?

そうですね、ファンタジーや、SF、推理小説などでしょうか。レイ・ブラッドベリやウィリアム・アイリッシュなどサスペンス系も好きでした。アガサクリスティも読みましたし、海外物ばかりでしたね。日本のものはほとんど読んでなかったです。

―現実と離れた物語が好きだったんでしょうか?

そうですね。児童文学を卒業してから読む本がなくなった感じがしました。小学校を卒業して、大人が行く図書館に行っても読みたい本がないんです。大人が読む小説に好きなものが見つけられなかったんです。それで推理小説やホームズ、そういった類の本を読むようになりました。

―その頃、絵本を出版しようとか、絵本作家になるために何かトライしたりもしたんですか?

はい。授業で作った絵本を「出版できませんか?」と出版社に持っていったんですが、「経験を積んでからね」と言われました。そこであっさり引き下がるのが自分の情けないところでもあるんですけどね(笑)。別に他の出版社を回ってみることもなく、一つだけ行って断られたら、「ま、しょうがないな。」と諦めてました(笑)。

すごく良いものは分からないけど、これは嫌、というのははっきり分かる

―(笑)そこで就職活動に入るわけですが、会社を選ぶ際に考えたことはどんなことでしたか?

私の船長さん

本を扱っている会社がいいなという想いはありました。入社した会社はステーショナリーの会社なんですけど、そこが出版関係もやっていたんです。私が好きなゴフスタインという絵本作家の本をその会社が出していて、いいなと思いました。その当時、絵本と言うと子供向けが主流だったのですが、ゴフスタインの絵本は大人に向けられて書かれている気がして、それが自分にとっては新鮮で憧れていたんです。
それと、それほど大きくない会社だったので自分でオリジナルのイラストを描いてデザインできるということが魅力でしたね。 その会社が就職活動で最初の試験だったんですけれど、そこが受かったら、「ま、いいか。ここにしよう。」という感じで(笑)、全然アグレッシブじゃないですよね。もっと人気のある大手の会社にトライするというわけでもなかったですし(笑)。もちろん最初に受かった会社にいいイメージがあったからという理由もあるのですが。

―何かにとらわれてない感じがしますね。心がしなやかというか、そういう感じがします。

嫌なことは直感で分かります。すごく良いものは分からないけど、「これは嫌」ということは、はっきり分かるので嫌でなければいいかなと思ってます。

―そのステーショナリーの会社でのお仕事は今のお仕事に役に立ってますか?

ええ。すごく役にたってますね。

―その頃は、入稿はデジタル入稿でしたか?

いえ。その頃は版下を作ってました。3年ぐらいは版下を作ってましたよ。色ごとに版下を作ったり、トンボシールを貼ったり。絵柄も描いたら、大きさを指定するためにコピーをとってパーツごとに貼ったり・・・。文字も写植指定で級数指定をしたり、文字の詰め方も指定したりと手間がかかりました。

―それは分担とかではなく、全て一人でやっていたのですか?

そうですね、全部ひとりでやる会社だったんです。大きな会社だとイラストを書く人、デザインを書く人、と分かれてることが多いですね。版下を作るところまで一人でやるという点ですごく勉強になりましたね。

―現在、本によっては坂崎さん自身が本の装丁などもなさる時がありますが、そういった面でも役に立ってるんでしょうか?

そうですね。印刷したらどうなるかということが頭の中で読めるので、仕事がしやすいですよね。それと、印刷の特色やCMYKの4色でやる違いや意味など、会社に入ってから実務的なものは全部学んだんです。ちょうどMacも導入されて、使い方もそこで学ぶことができましたし。そういった面でも良かったなと思います。

自分が歩いていくために作った「ペンギンゴコロ」

―その会社を辞められてからデビュー作になった「ペンギンゴコロ」が出版できたんですよね?

ペンギンゴコロ

会社を6年間働いて辞めたんですけど、ちょうど辞める少し前に創作絵本のグループ展に誘われていたんです。その時にそれまで温めていたペンギンのお話を本にしようかと思ったんです。それで、せっかくやるなら、印刷のこともわかるようになったし自費出版をしようと思いました。100部だけ作って、その展覧会に出品して売ったんです。その時に、たまたま銀座のギャラリー巡りをしていた編集者の方がいらっしゃってその本を読んでくださって、「ぜひうちの出版社で出版しませんか。」と言ってくださったんです。

―すごいですね。本として初作の絵本がそんな風になるなんて。

はい。その編集者の方がペンギン好きだったそうです(笑)。

すごくラッキーでしたね。私自身は作ったけど、売り込みにいこうなんて思っていなくて(笑)。当時の私を考えるとそこで売って終わりだったと思いますよ。本当に幸運でしたし、本当に嬉しかったですね。作品はほぼそのままで、若干ページ数が少なかったので、追加したりサイズを大きくしたりした程度でした。

―「ペンギンゴコロ」が好評だったから次の「ペンギンスタイル」、「ペンギンジャンプ」と続けての出版になったんでしょうか?

いえ。その編集者の方のおかげでした。「1冊だと弱いので、最低でも3冊出すつもりでやりましょう。」と言ってくれたんです。それで、3冊出すことができたんです。

―私は「ペンギンゴコロ」が一番坂崎さん自身の心の中の気持ちが反映されている作品のように思うのですがいかがですか?

そうですね。自分のために作ったというか、自分が歩いていくために作ったような気がします。当時の自分の気持ちみたいなものが一番強く出てるんじゃないかと思います。人に読まれることをあまり意識していなかったですしね。その後の本は、全て編集の人と話しているので、まっさらではないんですよね。テーマだけの提案もありますし。自分でもちろん考えているんですけど、「ペンギンゴコロ」は一番素のもので生まれたという感はありますね。

絵本でしかできないことができるといいなと思う

―ペンギン三部作のそれぞれのテーマを簡単に教えてもらえますか?

「ペンギンゴコロ」は"自立"がテーマ。「ペンギンスタイル」は、"ふたり"。"自分にとっての大切な人の話"のような本。「ペンギンジャンプ」は自分のおちゃらけた面を出してみたような感じです(笑)。

―「ペンギンゴコロ」ではあらゆる部分での心とペンギンとの喩え方が素敵ですね。「ペンギンゴコロ」については「飛ぶことを恐れない自分への応援の手紙」とエッセイにも書かれていましたが、読んでる人達にとっても、元気づけられる本だと思います。今読み返すとどうですか?

その時の気持ちを思い出しますね。昔の自分って暗くてうじうじした人かなと思っていたんですけど、意外と明るいところもあったんだなと感じます。今は、昔より悩みがないですね(笑)。昔はいろいろなことでうつうつとしてました。

―そういう部分に坂崎さん自身でスポットを当てていたところがあったんでしょうか?

そうですね。若かった頃はその方がかっこいいんじゃないかと思っていた気がします。悩んでいてちょっとダークな感じの方がいいように思っていたりもしました(笑)。自分に自信がなかったというのはすごくありましたね。ただ、昔書いたもので恥ずかしくなる絵本ってあるんですけど、この「ペンギンゴコロ」は恥ずかしくなりませんね。これはこの時にある意味完成していて、今書こうと思っても書けないです。

ペンギンスタイル

―「ペンギンスタイル」も坂崎さんならではのユーモアが出ていたように思いました。絵本の中の前半と後半に登場する本棚の絵が、同じ本棚でも置いているものがだいぶ違っているんですよね。ペンギンのグッズが増えていたり、南極貯金箱が増えていたり。こういったディテールにこだわったり、さりげなく表現するというところに「坂崎さんらしさ」を感じます。

そういった面白さや朗らかさが好きなんです。私の本はよく「癒しコーナー」などに置かれてしまうのですが、それにすごく違和感があったのを覚えています。「癒してない。」と思ってました(笑)。今は「癒し」という言葉が当たり前のように使われていますけど、自分の感覚では「癒す」というのはもっと深くて重いイメージです。自分の絵本はそういうものではなく、もっとささやかなものなのに、と。

―「ペンギンジャンプ」では、坂崎さんの面白い想像力やユーモアのセンスが炸裂!といった感じですが、そういう側面は以前から坂崎さんの中にあったのでしょうか?

ペンギンジャンプ

そうですね。「片思いさん」のエッセイで書いている自分はセンチメンタルな感じですが、大学のときは「ダジャレばかり言ってるよね?」なんて言われていました。

―細部にしかけがあったり、小さなコメントで絶妙に心理を象徴していたり、面白さを詰め込んだり、「坂崎さんならでは」を感じます。

そういうことは、意図的にやっています。絵本でしかできないことができるといいなと思うんです。文章は全部表現しなければ書けないけれど、絵は気づく人だけが気づくとか、見る人だけがわかるというようなものが入れ込めるじゃないですか。そういう意味で、気づく人だけが気づいてくれたらいいなと思うんです。また、自分の意図しないほうにとる方もいるでしょうけど、それもまた面白いなと思ってます。

街でSuicaペンギンを見ると、「あ、頑張ってるね、ペンギン!」みたいな(笑)

―これらのペンギン三部作が、今日本一有名なペンギン(笑)であろう「Suica」のペンギンのイラストを手がけられるきっかけになったんでしょうか。

そうなんです。Suicaがまだ立ち上げの際、キャンペーンをすることになり、何を使ってキャンペーンをするかという時に、果物のスイカかペンギンのイラストでやろうという話になったようです。それでペンギンを描ける人を探していたんだと思うんです。その時既にペンギンシリーズの3冊が出ていて、それでこのペンギンはどうだろう、と候補に挙がったのだと聞いています。いざ決定した流れは詳しくはわからないですけれど。

―坂崎さんの書くペンギンは本当にかわいいですものね!2000万枚以上発行されているカードに、自分のイラストが使われるというのはどういう気持ちですか?(※数字は2007/04/09時点のJR東日本の公式発表による)

最初はカードに使われるという話ではなく、最初のキャンペーン用のお知らせのために使う予定だけでした。その時、新宿駅などにすごく大きなポスターが貼られているのを見てすごく嬉しかったのを覚えてます。それだけで終わると思っていたら、告知の時のペンギンの印象が強かったみたいなんですね。ペンギン= Suica というイメージが残り、それで「ペンギンをもっと使うことになりました。」と連絡がありました。最初はカードにはペンギンのイラストは入ってなかったんですよ。とにかくシンプルなカードで。Suicaで買い物ができるようになった時期にペンギンも入ることになったんです。

―いまや街中でこれほど目にするようになると、どういうお気持ちですか?

最初は嬉しはずかし、という心境だったのですが今は慣れました。「あ、頑張ってるね。ペンギン!」みたいな(笑)。自分が作ったというよりあのペンギンがもう独立しているように思いますね。

―今、カードだけでなくいろんなパターンのペンギンのポスターや広告がありますけど、それも全部坂崎さんが書いてるんですか?

ええ、そうですね。同じポーズのものは使い回しているものもありますけど、最初の原型は書いてます。ただ、カンプを描く方が最近ではどんどんうまくなってきていて(笑)、このままでもいいのでは?なんて思う時もありますよ。私、このカンプ真似して描いちゃうよ?と思う時もあります(笑)。

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