有森裕子

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有森裕子さん(前編)

90年の大阪国際女子マラソンでは初マラソン日本最高記録をマーク。92年バルセロナオリンピックで銀メダル、96年アトランタオリンピックで銅メダルを獲得。記憶に新しい東京マラソンでのプロランナーからの引退。また、プロランナーの頃から始めた様々な活動も含め、常に私たちに何かを投げかけてくれる有森裕子さん。パーソンアップでは、有森さんの言わずとしれたこれまでのご活躍、そして現在のご活動の源を探るべくインタビューを行った。
(聞き手:小林里咲(クレイテプス)/ 写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2007年5月31日)

スポーツは共通した評価を文句なくもらえる

―有森さんの著作の「わたし革命」を読んでとても感動しました。陸上界の歴史的大スターとなった有森さんのその歩んできた道のりがよくわかって。この本にも書かれていましたが、幼少の頃の話や陸上との出会いについて、お話を聞かせてください。

わたし革命

陸上と出会ったというより、自分のできること、自信の持てるものと出会ったというほうが正確かもしれません。それがたまたま陸上という手段を通してだったんです。自信を持ったのは中学校の時です。中学の体育祭で800m走の種目がありまして、男の子は1500m走かな。私の学校ではマラソン大会というのがなかったので、800m走が唯一長い距離を走るものでした。クラスから代表が出て競うというもので、それが体育祭のメインだったんですね。ただ種目が種目なので誰も出たがらなくて。それで、私は他の競技で自信がなかったものですから、みんながやりたがらないなら、じゃ、やってみようか、と。ちょっと目立ちたい心半分で(笑)。それで全校の中で勝てたんです。
もちろん、他にも好きなものはありました。美術とか音楽とか。絵を描くとか、物を作ることも好きだったんです。絵で賞をもらってたりもしていたんです。でもその頃はものすごく自分に自信を持てるものが欲しかったんです。でも、絵や音楽や物を作ってつける自信というのは他からの評価ですよね。自分がどんなに良いと思っても、相応に評価がもらえるかというとそうではない。そのものさしというのが、明確じゃないように思えました。だからそういう分野で自信を持てるというのは私にとっては難しかったんです。
でもスポーツは1番は1番という共通した評価を文句なくもらえる、その明確さとそこで自分に得られる「できたんだ」という自信。それがすごく嬉しくて、だからこれだ、と思いました。楽でも何でもなかったんですけど、非常にわかりやすかったし。これなら自分も、と。とにかくがんばって走っていればできることだったんで、じゃ、やろうかと。そのような出会いでした。 中学では、三年間毎年その競技に立候補して出場して、さらに成績も出たものですから、高校は陸上をやろうと思いました。

とにかく必死に頑張れる時間が嬉しかった

―高校卒業時のお気持ちかと思うのですが、「わたし革命」の中でとても印象的だった箇所があります。

後にオリンピックまで出場する選手で、高校時代にずっと補欠だったというのは珍しいという。当時、わたしの成績では、オリンピックなど、夢のまた夢。オリンピックに出たいなどと口にしようものなら、冗談と受け取られたものだ。
けれど夢は夢として、とにかく自分で納得できるくらいの成績を、一度くらいは出してみたかった。

わたし革命(岩波書店)』有森裕子 p.51

―こういった状況でありながら、それでも『走る』ということを続けようとした、強い意志、原動力というのはどこから生まれたのでしょうか?

今は思い出してみると、オリンピックに出たかった、とか目標ということを口にするんですけど、たぶん往々にしてこの時期はまだあまり考えてなかったんですよ。私がなぜ続けてきたかというと、とにかく自分が一生懸命、必死に頑張れるというその時間がとても嬉しかったんです。打ち込めるものが持てるということが何よりも重要でした。必死になって、できる・できない関係なく、時にはできたりして、自分が変化していく、その自分の必死さの中でですね。それがもの凄く嬉しかったんです。もちろんその先に目標を立てていかなければいけないと思うんですが、それより何よりもそこの部分で必死でした。だから、続けるとかやめるとかどうするこうするとかはあまり考えていませんでした。とにかく毎日を一生懸命に過ごす。1日終われば次の日が来て、辞めるなんて考える時間もなくて。自分の競技力なんて二の次だったんです。それよりは今日が一生懸命だったか、明日どれだけ一生懸命やろうか、どれだけたくさん練習しようか、それを迎えいれられることがすごく嬉しかった気がします。
後で一歩引いて振り返ってみると、こうだったのかな、ああだったのかな、目標持つこと、先にオリンピックがあった、とか言えるんですけど、何が原動力かというと、目標やオリンピックということではなかったように思えます。とにかく小学校で自信がなくて、何をやっても形にならなくて、人より頑張ってるつもりがどこか不器用で、その自分がこれだけ頑張って何かに必死に打ち込めてる、ということがもの凄く嬉しかった、その気持ちだけですね。日々の原動力というものは。

―日々の糧だったんですね

そうですね。それだけで続けられないと皆さん思われると思うんですけど、それが続けてこれたのは、その中で人との出会いがあったりとか、

やっぱり自分自身の成長も多少あったりしたのかなあ、とも思います。

人と違うということが、自分自身では大事だった

思いが強ければ、夢はかなう。
だれでもが口にする言葉ではあるけれど、その「思い」を毎日の生活のなかで持ちつづけることが、どんなに難しいかを、わたしは身をもって知った。

わたし革命(岩波書店)』有森裕子 p.10

―この部分にもつながるような気がします。

そうですね。思い続ければ叶うというのは、ある程度形になってから思えるようになりましたね。高校で陸上部に入る時、最初は入れてもらえなかったので、どうしても入りたいという気持ちで通い続けたんですけれど。思い続けると自分が行動するわけですよね。行動にして続けてれば最終的には形になる、そういうことだと思います。

―当時は難しさはあまり感じてなかったですか?

結局不器用だったので当たり前だと思ってたんですよ。1回でだめなら、2回目。2回だめなら3回目と。一筋縄でいかない事がたくさんあったので、私はそうしないとだめなんだ、という。いい意味で自分に対するあきらめというか。その不器用さがうまく自分に活きたのかなと思いますね。

―粘り強さですね。

そうですね。人があまりしてないというところが一つのポイントだったかもしれません。みんながやっていたらたぶん私はそんなに目立つことはなかったと思うんですけど。みんながそこまで粘らないし、基本的に諦めたりするのが早かったですし。だいたいみんな一回でできてましたしね。やっぱりちょっと変わったことというのが自分にとって魅力だったんだと思います。人と違うということが、自分自身では大事だったのかな、と。

有森裕子

常にこうなりたいと思いながら、一度も手を抜いたことはない

―当時陸上部でその時はまだそれほど成績を残していなくて、夢のまた夢だと思っていたオリンピック出場。それが後に現実にできましたよね。そのことを有森さん自身振り返ってみて、要因ってどんなことだと思いますか?例えば人との出会いだったり、自分の信念だったり、様々な要因が考えられますけれど。

常にオリンピックが頭にあった訳ではなかったんですけど、ひとつの要因としては、常にこうなりたいと思いながら一度も手を抜いたことはないんです。これは明確です。そこは一つの要因です。何事に対しても、練習一つとっても、どんな時間をとっても、進歩につながらないことは絶対してないということですね。それだけは自信を持って言えます。
常に明確に前に進むことを基準に全ての時間を使ったので、それがいつしか「オリンピックを目指していい」「目指せる」「いけるんだ」という風に自然に進化していったのかなあと思います。2回目のオリンピックの前に、大学の先輩に「どうしたらいけますかね?」と聞いたんです。すると、「本当に行きたいと思い続けてる奴が行けるんだ」と言われました。そこでも「思い続ける」という言葉が出たのは覚えています。
1回目はとにかく何事においても必死でしたね。前に進むために。もともと自分がそんな力を持ってると自信があったわけではないので、ただ一つ自信があったとしたら、まず諦めない。それと人がやりたがらないことを基本的には出来るほうだったので(笑)。いい意味で人と変わったことを選んでいた、みんなと一緒はいやだ、というところを良いように活かしていって、続けたというところは大きいかもしれないですね。あとは人の出会いだったり、タイミングでしょうか。ちょうど私がリクルートに入れて、オリンピックを目指す時期、入って2・3年後位には第一線の人が引退していたんです。私はラッキーと思っていたんですが(笑)。これからは自分達の時代っていうタイミングにもあったし。
それとちょうど会社が大変な時でした。リクルート事件があった時ですから。ピンチはチャンスという言葉もありますけど、ある意味何らかしらにみんなが希望を求めてた、そういう希望を求めてた人たちからもらえたエネルギーがもの凄く高かった。だからすごく応援してもらえたんです。パーフェクトに環境が整っていたというよりは、ない中で必死になれるシチュエーションが常にあったという事ですね。これが全然違う環境の中で余裕しゃくしゃくの会社で誰でも入れる陸上部であったりしたら、また全く違う人生だったかと思いますね。
ある意味逆境だからこそ、燃えるというか、悔しさをバネにとか、ピンチをチャンスにとか、まさにそれを全部力にしたという感じですね。

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