有森裕子

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有森裕子さん(中編)

前回に続く中編の今回は、アトランタオリンピックの後プロ宣言をしてアスリートの権利を主張し、大きな一歩を切り開いた有森裕子さんにスポーツとビジネスについて伺った。
(聞き手:小林里咲(クレイテプス)/ 写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2007年5月31日)

特例ではなく先例になりたい

「特例ではなく先例になりたい」
プロ宣言は、自分のためにやったこと。けれどあとにつづくアスリートの先例になりたいと思っていた。
どんないいことも、それがそこだけで終わってしまってはつまらない。あとにつづく人が、わたしのように苦しまないために、道を広げるための努力をしていきたい。

わたし革命(岩波書店)』有森裕子 p.214

―アトランタオリンピック以降、有森さんはプロ宣言をされた訳ですけれど、それは大きな意義があったと思うんです。後に続く選手に正当な権利を得られるようになった人が増えてきた。もちろん今となってはそうですけれど、当時はプロ宣言をするということに相当な軋轢があったかと思うんです。そういった大変な中でも、それを貫かれたのは、どういった気持ちがあったんでしょうか

わたし革命

まず、かなり心の準備をしていました。切り開こうとした道でしたからね。メダルを取れた時点で自分の疑問点をぶつけようと思っていたんです。私が最初に思いついたのはプロ化ではないんですよ。ただ私が切り開こうと思ったのは、自分が持った才能、できるということを活かして生きて行こうと思った時に、どうして一般の人はそれができるのに、それがスポーツ人になったら、そこにいろんな条件が出て、制限が付くのだろうかと。また、なぜ自分に肖像権がないんだろうと。これは何故かと思いました。
一般の方は、自分ができることを活かしてお金をもらい、仕事にしているわけで、私達もそれをしていいのではないかと思いました。スポーツだからクリーンでなければいけないとか、肖像権がないから勝手に使ってはいけない、とか、それをやるんだったら陸連から出てタレントとしてやりなさい、などと言われ、正直なところ訳がわからなかったわけです。それはおかしいと。それをまず言いたかったんです。

いつまでも粘れるし、いずれ変わる、絶対変わる、と思っていた

―陸連に所属してスポーツを続けるか、肖像権を主張するかの二択ということですか。

私は陸上を、生きていく手段としていた訳ですから、この世界から離れてからタレントとしてやりなさいというのは、非常に納得がいかない話だった訳です。走ることを活かして生活をしたい、それが私の思いでした。走るレースで賞金があれば、賞金はもらうし、それはいいんじゃないかと思いました。そういうところをぶつけたんです。そういう中で、肖像権がない、JOCが肖像権を一括管理している状況でした。
オリンピックキャンペーン「頑張れ日本キャンペーン」に入っている選手はそこの基準での収入しか入らない、そういった問題がたくさん出て来ました。選手がもらう賞金のことについての問題は以前から出てたんです。瀬古さんや中山さんの時でした。瀬古さんのボストンマラソンでのことが引き金なんですけど、その時に彼はベンツをもらったんです。そのベンツは誰に入るか、という話になって、本当は本人がもらえるはずなんですが、会社に入ったんです。それで、賞金が出たんですがそれは陸連に入りました。全額もらえず、小分けにして本人に入るという形で非常に不透明な結果だったんです。その時からメディアを通してそういう問題に非常に興味があったわけです。つつきたかったのは選手側じゃなく、陸連側をつつきたかったんです。そういう流れがあって、その組織がおかしいのではないか、と、私みたいな、ただでさえうるさい人間が騒ぎ始めたので、放っておけないわけですね。
そこで私がラッキーだったのはメディアが私側についてくれたということと、会社がリクルートということで、この生き方を支援してくれる会社だったということがあったと思います。ですから絶対変えられるという自信はありました。ただ時間はかかる。私は表立って発言したという訳ではなく、今私が取締役をしているライツの代表の古西が当時広報だったので、そういう所に出て行って全部対応してくれたんです。「変えられる」という自信があった中で進めていけたので、時間がかかるということは、全然気になりませんでした。私のこれまでの性格上いつまでも粘れるし、いずれ変わる、絶対変わる、と思ってましたので。ただ一つ不安だったのは、変わるまで走れていなければいけない訳です。正直、その当時の私は上り調子じゃなかったので、アトランタオリンピックの時はようやくちょっと調子を上げたという感じだったんです。

だから早く、私が終わりかけても、次にこの話に乗りかかれるような、次の世代が早く出て欲しいとは願っていました。ですから、このプロ化についての問題を進めていくには、もうあと2、3年走れなければいけないよ、ということを条件にしたのはあったんですけどね。

頑張ってきたことを、オリンピックが終わったことで終わりにするのではなく、次の人生にも生かしたい。わたしが望んだのは、そんなシンプルなことだった。

わたし革命(岩波書店)』有森裕子 p.155

―ちょうどオリンピックの直後ですよね?

そうです。そういうタイミングじゃないと話を聞いてくれないんです。アスリートというのはその瞬間瞬間にものを言わないと、よっぽど印象に残る、インパクトある選手じゃない限りは、どんなにメダルを取ろうが忘れられちゃうんですよね。

生きてきた道や人生を使って何かしらのメッセージを投げかけることができる

―優秀なスポーツ選手を輩出しようとする土台として、競技人口を増やしていくのはとても重要だと思います。その時にスポーツとビジネスの関係というのはわりと大きな問題なのではないかと考えます。現在の日本におけるスポーツとビジネスの関係について、どう思われますか?

スポーツとビジネスはやりすぎると難しくなるということもあるかと思いますけど、それ以前に私はやってる側の問題が大きいと思うんです。スポーツしている側の人間性がどうなのか、ということです。スポーツをする人の人間性を周りがどう思ってるかということから出来上がっていくものだと私は思ってるんです。
私はあまり「スポーツ人」ということで考えたことはなかったんです。スポーツはあくまで手段、人間が使ってる手段であって、大事なのはその人間が何がしたくて、何を表現したくて、どんな風に人にメッセージを伝えたいか。それがしっかりあれば、そこにどんなビジネスが入ろうがなかろうが、切り開けるものはあるし、周りが応援することもあるだろうし。
もちろん、プロ化になったからといって環境は整ってないと思います。ビジネスの方も不透明なところも多々あると思うんです。ただ、それと同時にアスリート側もまだまだもの凄く未熟だと思います。スポーツしてるときは至れり尽くせりでやってきたものですから、人生まで人任せというところがある人が多かったですね。強ければいい、競技成績が良ければいい、だけで進んできて、人間性がどうしようもない人がいる、そういうんじゃだめなんだと思います。
全てが全て優等生であれ、とは言わないですけど、やっぱりそこまでお金と時間と環境をもらった人間が、そして世界を見ることができた人間が世の中にどう見られているか、求められているか、を考えるべきだと思います。そこは本人望む望まない関係なく、評価されちゃうんですよ。一人の人間として問題を考えて向かわないと、結局は解消されないんですね。
そこを私はもの凄く見てるし、考えてるし、この会社(ライツ株式会社)自体も、私はそちらを変えたかったんです。代表の古西は私をずっとサポートした人間なので、選手を取り巻く環境を何とか変えたい、と。私は環境を整えてもらう側の選手側の意識を変えたいということでこの会社を立ち上げたんです。それが会社設立のいきさつでした。もちろんこれから彼が考えてることも必要ですし、私が考えてることも必要なんです。この2つが一緒になれば、スポーツという手段で生きてきた人間が、単に競技だけで終わらなくて、その生きてきた道や人生を使って何かしらのメッセージを投げかけることができる。世の中を変えていけるし、自分自身を変えていける、それから先は自分で考えなさい、ということなんです。

有森裕子

―可能性は無限にありますよね。

ただやはり特殊な環境なんですよ。何か一つ成しえていくにはもちろんその道において、いろんな人が至れり尽くせりでやってくれないといけない時期があるにしても、人間的に全うにいくかというと、いかないことも多いんですね。人間性なんてそういう人には求めなくていいと言う人もいます。これは私はスポーツ選手が持つ影響力を考えて言いたいんですけど、やっぱり人間性はどうでもいいとは思いません。そこを何とかしていきたいとは思いますよね。

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