ピーター・バラカンさん(前編)
ラジオやテレビなど、音楽を紹介する仕事をメインに20年近く続いているTBS「CBSドキュメント」の司会など幅広く活躍しているピーター・バラカンさん。バラカンさんは「音楽を紹介する」という好きな事を仕事にしている。様々な岐路において自分の直感を信じてきた、そのバラカンさんの「しなやかさ」が感じられたインタビューとなった。前編では、バラカンさんの子供時代の音楽との出会いや、大学で日本語を学んだきっかけ、来日することになったいきさつなどを伺った。(聞き手:小林里咲 / 写真:近浦啓 / 収録:2007年6月6日)
素朴な1950年代の小学生の頃
―バラカンさんは小さい頃、どんなお子さんだったのですか?大学を卒業する頃までロンドンにいらっしゃったのですよね?
あまり覚えてないですね(笑)。そうですね、23歳になる直前までロンドンにいました。どういう子供だったかというより、どういう時代だったかということですよね。小学生の頃は1950年代だったので素朴でした。住んでたのもロンドンから少し離れた郊外で、とにかく素朴な所で車もそんなに走っていなくて。家の前の道路で学校が終わった後に遊ぶこともできましたしね。自転車で遊んだり、近所の子供と遊んだり。家に裏庭があったのでそこで遊ぶことも出来たし、気軽な時代でしたね。テレビも5、6歳の頃からあったと思うんですけど、番組が放送される時間は1日のうちの数時間しかなくて、そんなにテレビ漬けにはなっていなかったですね。
―音楽にのめりこむきっかけというか、出会いみたいなものってあったんでしょうか?
小学生の頃はそのリクエスト番組をラジオで聴く程度でした。家でレコードプレーヤーを買ったのが1960年代だったのかな。60年に、ロンドン市内に近い郊外へ引越したということもあって、環境が変わり、レコードプレーヤーも家に入って、学校も変わって。その学校の仲間の一人が、ギターを持ってたんです。彼の家によく遊びに行ったりして。
―それは何歳位の頃ですか?
10歳か11歳位、4年生か5年生の頃でしょうか。その頃になって日曜日の夕方にラジオで放送されていた音楽のトップ20の番組をその友達とよく聴いてました。それで彼がギターのコードを少し教えてくれたりして。そのころになるとヒットチャートに何が上がってるか、その位のことには関心持つようになってきましたね。
6年生位の頃かな、実際に安いギターを弟と二人で買ってもらって、よく弾くようになりました。ちょうどビートルズがデビューした直後くらいでした。
"ビートルズがデビューしてイギリスは全部変わった"
―そこからますます音楽へ関心が深くなっていったいきさつってどのようなことなんでしょうか?
やっぱりビートルズですね。その前から音楽好きでしたけど、ビートルズがデビューしたらイギリスは全部変わっちゃいますからね。早い話。『現象』でしたね。人気グループの域を通り越して。
―ビートルズのどういったところに衝撃受けましたか?
音楽そのものにすごく新鮮味がありましたし、彼らの持っている雰囲気。それまでのポップスターとはどこか違うんですよね。もちろん髪が長いということに当時なっていたんだけど、今考えると全然長くもないですよね。時代がいかに変わったか、っていうのがすごくわかりますよ。あの程度でもの凄い非難をあびた訳ですからね。子供達はあれだけメディアがビートルズ一色になってしまったから、周りの子供達はみんな髪の毛伸ばしたりしてましたよ。うちの両親は全然それを問題にしてなかったですけど、伸ばさせない親もいたんじゃないですかね。まだ60年代の前半は保守的な時代でしたからね。
―バラカンさんは髪、伸ばしていたんですか?
ええ。うちは母親がビートルズファンでしたからね。髪の毛を切るのは私がやってあげようというタイプの親でしたね。とにかく、そういったビートルズ現象になってしまってました。それとあのちょっと生意気なところが子供達にうけたとは思いますね。僕らがぼちぼちティーンエイジャーになろうとしてる頃、一種の反抗期のような時期にさしかかる訳ですからね。そういう生意気さにあこがれるのかな。あまりそういう人はいなかったからね。特に、メディアに出てきたらみんないい子ぶっちゃう時代だったんですよ。公共の電波にのる時は、生意気なことを言っちゃいけないという暗黙の了解があったんですね。今でも日本はわりとそういう感じですけれど。最近はそうでもなくなってきたかな。そういう既成概念を破ったのがビートルズだと思いますね。僕だけじゃなくイギリス全体が影響を受けていましたね。僕の世代のイギリス人だったら、同じような影響を受けてない人間はほとんどいないと思いますよ。
―ビートルズの中だったら、どなたが好きですか?
まあジョンかな。ジョージも好きでしたね。ジョンはやっぱり悪ガキ風のところが面白かったですね。ジョージはむしろ静かにギターをひいてるちょっとニヒルな感じがかっこいいと思いましたね。
ビートルズを聴く前から音楽は聴いてはいたし好きだったけれど、ビートルズをきっかけにああいう新しいタイプの音楽をやるグループが次々といっぱい出てくるわけですからね。イギリスはみんなが音楽きちがいになると言ってもいいような雰囲気なんです。僕がというより、本当に世代的なものだったんですよ。僕の世代のイギリス人は音楽に染まってたんですよ。だからといって、僕みたいな完全な音楽バカになったかといったら、もちろんそういうことではないけれど。なぜ僕が人よりもそうなったかというのは、こればかりは僕にもわかりませんね。
"僕はすごく単純な人間なんですよ"
―ところで、バラカンさんはロンドン大学で日本語を勉強されたんですよね?
もともと勉強しようと思ってはいなかったんです。その前には学校で11歳の時からラテン語と古代ギリシャ語を学んでいたんです。ぼくの学校はみんな誰でもある程度やらなければいけなかったんです。その「ある程度」のところでみんな嫌だからやめちゃう人が多くて。でもわりと僕は好きだったんですよ。もう使われていない言語だったんですけどね。なんなんでしょうね。そういう言語学がもともと向いてたんでしょうね。それで高校で最後までわりと専門的に勉強していたんです。その後、大学に行くか行かないかですが、あの時代は進学率は確か10%ちょっとだったんですが、学費がタダだったんです。当時、イギリスは所得税を3割取られていたから、高等教育も無料だった。だから18歳で就職したくないから行けるものなら大学に行ったほうがという不純な動機しかなかったんです。少なくともお金がかからないから親に負担をかける事ではないですし。じゃ、行くからには何か勉強しなくちゃいけないわけですけど、ぼくの場合は語学かなと思った訳です。ヨーロッパの言語だったらその国に行って暮らしながら勉強する方が面白いでしょうし、わざわざ大学に行ってそれを学ぶことはないだろうなと思った。じゃあ、何語がいいかというのがわからなかったんです。父がポーランド人で、母がイギリスとビルマ(※現在のミャンマー)のハーフなんです。ポーランド語といっても興味はないし、父親はぼくたちにポーランド語を全くしゃべってませんでしたし。
ビルマ語となると、「ビルマ語?」という感じで全く役にたたないだろうなと思って、何か変わったものの方が面白いかなと思っていた時に、母とああでもないこうでもないと相談していて、母が何語がいい、何語がいいと言ってる時に「日本語」という言葉が出てきたんです。たまたま。「お、それ面白いな」と思ったんです。何にも知らなかったんですよ。ピンと来た。だから理由ってないんです。勉強しよう、と思っていた訳でもないし、日本に興味を持っていたわけでもないし、たまたま出てきたその言葉にピンと来た、ただそれだけ。僕はすごく単純な人間なんですよ。迷ってどうしようかな、なんて思ってる時に「よしこれがいい」と思ったら「それがいい!よし、それで行こう!」となるんです。
"音楽関係の仕事があればそれでいいと思っていた"
―前もって、日本語に対する情報を知ってた訳ではないですよね?平仮名があったり、漢字があったり、難しいとか。
全然ない(笑)!どういう音感を持ったものかもわかってなかったです。それで当時のイギリスでは日本語を教えている大学は4つしかなかったんです。オックスフォード、ケインブリッジ、北部のシェフィールドという所とロンドンと。オックスフォードもケインブリッジも寮生活になるんですが、当時寮は全部男子か女子かどちらか分かれてたんです。僕は7年間男子校にいたからそういう世界はもういやだと思ってましてね。それだけでオックスフォードもケインブリッジも受けなかったんです。シェフィールドは工業都市だし、あまり住みたい所じゃないなあと。だったらロンドンでいいや、と。キャンパス生活はしないで、自宅から通う形で受けてみようと。それで入れて、その後4年間勉強して。
―直感で選んで大学に入られたんですけど、大学ではしっかり勉強されたんですよね?
もちろんしっかり勉強しました。しっかり勉強しなきゃどうにもならない。大変なんだから(笑)。大変だったので卒業の頃には「もういい、もう見たくない、もう一生いい」とその時は思ってましたね。日本に行こうなんて思ってなかったし、日本で働きたいとも特に思ってなかったんですよ。とにかく音楽関係の仕事があればそれでいいと思ってました。
"人々が「なぜ」「何を」買うか、はレコードショップで半年も働けば見事にわかる"
―卒業されてからレコードショップに勤めたそうですね。その時も就職活動をビシバシやろうという風にも考えてなかったとか?
そう。全く考えてなかったです。甘かったですね。でもイギリスではね、日本みたいにしっかりと早くから就職活動をして、4年生から早々と内定を・・なんてほとんどないんですよ。人によってはあるかもしれないし、キャリア相談というようなものもあるのですが、全ての人達がそれを利用してるという訳でもないし、僕だけが甘かったという訳でもない。時代も時代ですからね、35年ほど前の話ですから。ちょうどその頃に大卒の就職は難しいと言われ始めていた時期で資格があり過ぎても使いにくいという企業が出始めてね。むしろ資格を持ってない人間を安く雇って自分達の扱いやすいように育てる、まあ日本的な考えかもしれないですけど、そういう考えが出始めていましたね。
―そのレコードショップで音楽に触れた経験というのは今思うとやはり大きいですか?
とても大きいですね。音楽業界で働くためには、末端でどういう風に消費されているかを知っていたほうがいいんです。レコードを買う時に人々が「なぜ」「何を」買うか、はレコードショップで半年も働けば見事によくわかります。
3人に1人は何を買いたいかわかっていなくて来るんです。レコードショップに入って何を買おうかと物色してる間に店内で流れている曲を「これ何?」と尋ねてくる人はいっぱいいるし、「何かお薦めのものはない?」と聞いてくる人もかなりいましたし。だからレコードショップで働いている人達に教えてあげたいという気持ちがあれば影響力は意外に持てるということがよくわかりましたよ。面白かったですよ。
―掘り出し物とか発見を求めて来る人が結構いるんでしょうね?
います。います。音楽は好きだけど何かレコードが欲しいなあ、何がいいかなあ、という程度しかわかってない、例えばお店の前を通りかかってたまたま入ったとか。商店街の中のお店でしたからね。
―その時にたまたま見た求人広告を見て日本で働くことを決意したそうですが、日本とイギリスは距離的にもとても遠いですよね。
そうですね。まだまだ日本に行きたいと思っていた訳でもなくて、店でとっていた業界紙の求人広告で日本の音楽出版社のシンコーミュージックが求人していたんです。その頃は大学卒業から1年近くたっていて、日本語を見たくないという気持ちは収まっていたんです(笑)。
レコード店も面白かったんですけど、要領を覚えてしまえばそれほど将来性を感じる仕事じゃない、自分の店を持つとしたら別ですけど。雇われ店長として給料は安いし、時間も長いし、遊べなかったですしね。ガールフレンドがいなくて若干寂しかったというのもあったし。何か変化を求めていたというか、その時の状況にちょっと詰まっていたというか。その時に求人広告が出ていたので「こういうのも面白いかも」と思って、とりあえず手紙だけ出してみたんです。それで日本から出張でロンドンに来た会社の人達と面接があって、2次面接に残った際に一緒に日本料理屋に連れていかれて、その別れ際に「採用するかはまだ決めてない、決めるとしても日本語が多少できるというのは関係ないからね、それだけはわかって欲しい。」と言われたんです。つまりね、海外とのビジネスレターを英語で完璧に書ける人が欲しいから求人していたんです。日本語のわかるイギリス人が欲しかった訳ではないと。それを言われたら「あーだめか」と思いました。僕はそれ以外は全く経験がないし、難しいだろうなと。
"10日後に日本に来れないか?と言われ、心臓がバクバクしながら「Yes」と答えた"
―ビジネスレターというのはやはりネイティブの方でもしっかり書くのはかなり難しいんですか?
ネイティブだったら、仕事の内容を覚えればそれほど問題ないですよ。基本的なインテリジェンスを持っていればなんでもできちゃうから。とにかくこれは無理かもしれないなと思って、相変わらずレコード店で仕事をしていたんです。そうしたら僕が間借りしていた一軒家の玄関に公衆電話が一つだけあって、みんながそれを共用してたんです。僕の部屋がそこに一番近くて。ある朝、出かける直前に珍しくその公衆電話が鳴ったんです。公衆電話だから、みんなかけるだけで受けることはまずないと思ってたんですが。たまたま鳴ったから僕が出て、日本からだといわれて、10日後に来れないか?っていきなり言われたんですよ。びっくりしてね、心臓がバクバクいいながら、もちろん「Yes」と言って。自分の生活の身辺整理や準備を慌ててして、お金はほとんどないから出発の前日までレコード店で働いてたんですけどね。
―それはすごく大きな決断じゃなかったですか?日本に来るというのは。
でもね、一ヶ月の試用期間ということだったから、ダメモトで航空券は約束されているし、お金は出るし、だめだったらまた帰って何かやればいいやと思ってましたよ。若いしね。ただ、そうは言うものの出発の前の日にパブで友達と飲んだんですが、その時に別れる際はすごく泣きました。だから、一ヶ月だけで帰ってくるとはどこか心の底では思っていなかったんでしょうね。でもまさか30何年かもいるとは思いませんでしたよ(笑)。若いからね、考えていないんですよ。とりあえず行ってみようと。スーツケース1つ、ギター1つ、それだけだったからね。それとレコードケースを持って。
撮影協力:Cafe Apres-midi(カフェ・アプレミディ)
今回撮影に協力して頂いたカフェ・アプレミディは音楽プロデューサーとしても有名な橋本徹さんがオーナーを務める渋谷の人気カフェ。ピーター・バラカンさんもよく訪れていらっしゃるそうです。ゆったりと配置されたソファ、BGM、心地よい時間が流れています。
〒150-0041 東京都渋谷区神南1-15-7 5F
Phone / 03-5428-0510
Open / 12:00-25:00 (日~木) 12:00-28:00 (金・土・祝前日)
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