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向井亜紀さん(後編)

最終話となる後編のインタビューは向井さんのぶれない生き方の源、代理母となってくれたシンディの出産に立ち会った時のこと、向井さんにとっての「家族」、「家族の絆」とは?といったお話を伺った。(聞き手:小林里咲・近浦啓 / 写真:近浦啓 / 収録:2007年7月9日)

"失った命が、イコールお天道さま"

―向井さんのおっしゃる“空から見ているあの子はもちろん、やはりお天道さまに恥ずかしくないよう生きていきたい”という姿勢は、日本人の多くに浸透しているような、“自分は世間からどう見られているだろうか、浮いていないだろうか”と気にしてしまう姿勢とは、全く違うもののように思います。
例えば芸能界という人気仕事のコミュニティで、視聴者からどう見られた方が得かを計算して動くのと、人に見られていなくても自分個人がお天道さまに恥ずかしくない行動をとれているだろうかと考えていくのとでは、きっと生き方が違ってくるというか。著作を読んでいてもとても感銘を受けたところはそういったところでした。
シチュエーションが違うんですが、「プロポーズ 私たちの子供を生んでください」の中で「レッツ」の視聴率のお話でこうすべきだという意見を出すシーンで「仕事をしなきゃ食べていけない、でもただ食べていくためだけに仕事をしてくのかというとそうでもない。これから先は食べていくためだけに仕事をしていきたくはない」ということを書いていらっしゃいましたし、「家族未満」の中でも裁判する時に芸能人としての自分よりも人間としての高田亜紀という人間がどう生きるかということを考えたいということを書かれていましたね。そういった自分の信念が少しもぶれていないところにとても感銘を受けました。それは小さい頃からの教育によるものかもしれないと思いますが、向井さん自身、自分の中でぶれないで生きてらっしゃる感覚はありますか?それともその度にぶれそうになるご自分をしっかり修正しつつ歩かれているんでしょうか?

タレントとしてのイメージダウンは必至でしょうが、私は、タレントとして成功するために生きているのではなく、自分の命をギリギリまで燃やし、子供たちに何かを残すために生きているのですから、この仕事は大好きでも、高田亜紀としてやらなければならないことを避けて通ることはできません。

家族未満(小学館)』向井亜紀 p.199

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やっぱり病気をする前と後では、まるで違う生き方になっていますね。手術後の私にとっては「失った命が、イコールお天道さま」なので、そのものすごく具体的な中心点がぶれることはありません。病気以前のことがうまく思い出せないほど、それ以降のことに気持ちが集中しているんだと思います。天国に行って、もう一度あの子に会った時に「私、意外と頑張ったでしょ?」と言えるかどうか、それが自分にとって一番大きいですね。
そんな私でも、代理母たちの気持ちの持ち方には驚かされました。全然ぶれない。微動だにしないんです。「人はどういうだろう。マスコミに叩かれたら仕事はなくなるし、もし子供達がいじめられたらどうしよう・・・」そう思うと、私も気持ちが弱くなります。過呼吸にも苦しみました。しかし、彼女達の姿勢を見ていると、思いっきり励まされるんです。
代理母シンディに「ごめんね、ごめんね、本当に迷惑をかけると思うけれど」と言うと、「アキはいつも“ごめんね”って言うけど、それはもう言わないで。これは私が選んだ道なんだってことを忘れないでちょうだい。アキは私のことを幸せにしてるんだから、それでいいのよ」と言ってくれるんです。法律で許可されているとはいえ、ネバダ州に住む人全員が代理出産に賛成している訳ではありませんから、何か言われることだってあるでしょうが、そういった他人の目に対して彼女達は全くぶれないですね。「私はこう考える」、「私はこの道を選ぶ」と強い信念を持って生きているんだと思います。「何かしら言う人はいるだろうけど、その人と私は違う人間なんだから考え方が違って当たり前。私はこの方法が素晴らしいことだと理解している。その人がこの素晴しさを理解できる日が来たらいいと思うけど、それは人それぞれの自由ね」と、非常にしっかりと自分の気持ちを前へ向かせているんです。そんなシンディを子供たちはもちろん、実家の皆さんやジェイムス(シンディの旦那さん)のご両親もずっと応援していました。
「ボクのママはすごいんだよ。アキとノブのために双子を産んであげるんだ」とクラス中の友達に自慢している息子のゲイジ。「私たちの自慢の娘よ。素晴らしいことをしているわ。シンディ、あなたならきっとできる」と励ますお父さんお母さん。「あなたがアキなのね、会いたかったわ、いつも聞いてるのよ」とうるうるしながらハグしてくれたジェイムスのご両親。本当にものすごくハッピーな現場でした。子供を得るという夢に涙を流しながら手を伸ばしてきた私たち夫婦でしたが、家族が増えることをこんなにもハッピーに前向きに考えていいんだと、そのとき教えてもらった気がします。
これから先、子供たちがいじめられることもあるでしょうし、いろいろな場面で壁にぶつかると思います。けれど、私がシンディやその家族に対してこの上なく感謝している、その気持ちにぶれを起こしさえしなければ、子供たちが必要以上に迷うことはないのではないかと考えています。

実は、子供たちには生まれた直後からずっと話し聞かせ続けているんですよ。「君たちはシンディから生まれたんだよ」「シンディのお腹の中にいた時のこと覚えてる?」「シンディにありがとうって、いっぱい言おうね。ずっと言おうね」と。言葉がわかるようになってからだとか何だとか、そんなことは関係ありません。感謝の気持ちはいつも湧いているんですから、それをいつも素直に表現していけばいい。そのほうが私達夫婦の姿勢が子供たちへ自然な形で伝わっていくんじゃないかと思うんです。いずれ、「シンディのお腹から生まれたってどういうこと?」とか、もう少し大きくなれば「代理出産ってどういうこと?」「ママの身体に何かあったってこと?」とだんだん質問が出てくるようになるでしょう。その質問に順番に答えていくのも私の大切な役目だと考えています。その基本になるのは、シンディ家族と私達家族が“ビッグファミリー”として仲良く時間をシェアしていくこと。我が家のリビングには、いつもシンディ一家の写真が飾られているんですよ。子供たちもよく「またゲイジと遊びたい!」って言ってますから、またダブル家族旅行の計画も立てなくちゃいけないと思っているところです。

―シンディさんの出産に立ち会われた時はいかがでした?

まっすぐ歩けないほど緊張しました。シンディが破水して33週目で帝王切開することになったので、医療スタッフにも緊張が走っていました。が、なぜか皆さん、とてもワクワクした雰囲気なんですよね。ちょうどサンクスギビングナイトだったんですが、神様が近くに来ているという感じで、シンディまで「絶対に今晩、産みたいわ」と陣痛の中で笑顔を見せてくれたので、私たち夫婦のほうが助けられてしまいました。
実は分娩室には、シンディが熱心に病院側へ交渉してくれたおかげで、ドキュメンタリーのカメラが入っていました。コーディネーターが交渉した際には断られていたのですが、シンディ本人が強くそれを望むならと直前になって許可が下りたんです。分娩室に入ることのできる人数は(医療スタッフ以外は)3人と限られているのを、「その3人は、アキとノブとカメラマンであるべきなんです」と直談判してきたシンディに病院側も驚いていたそうです。普通に考えたら、旦那さんのジェームスが入りますよね?でも彼女は「ジェームスが病院内にいてくれれば、私は大丈夫。アキとノブは必ず立ち会ってね。3人目はカメラマンよ。この出産の様子を日本で困っている人たちへ絶対に見てもらいたいの」と言ってくれて。シンディ自身も、カリフォルニアで代理出産のドキュメンタリー番組を見て、代理母になる決心をした1人だったので、その意識の高さは本当に素晴しかったです。

"毎日積み重ねていくものこそが絆を作る"

が、その判決が、私たちにとって悲しいものであっても、嬉しいものであっても、こと「家族とは何か」という問題についての答えは、この世に生きとし生けるすべての人間、いえ、すべての生物が、それぞれの心の中に持っていなければ意味を持たないものなのではないかと思います。

家族未満(小学館)』向井亜紀 p.9

―ファミリーという概念、家族という概念、略語としてはイコールですよね。著作の「家族未満」の「家族」っていうのは法律的な家族や親と子って何だろう?という定義付け、もしかしたら社会の秩序のための狭い定義付けだと思いました。心理的なファミリーだったら、もっと広い精神的な絆とかそういったことかもしれませんよね。向井さんにとって改めて「家族」というもの、あるいは「家族の絆」ということ、どういう風にとらえているか、聞かせて頂けますか?

「家族未満」の冒頭にも書いたんですが、広辞苑には「家族とは血縁関係を基本とした最小の集団単位である」というように書かれてありました。けれど、英語で「ファミリー」というともっと広い意味を帯びて、「一つ屋根の下に住んでいれば、お手伝いさんやペットに至るまで、みんな家族としてカウントしてOK」となるみたいなんですね。私達親子には血縁関係があるので科学的には家族なんですけど、法律的には分娩をしていないので家族じゃないということになります。子供たち2人はただの同居人であって、あなたたち夫婦に子供はいませんよと。私個人としては、毎日一緒に過ごし、同じテーブルに並んでご飯を食べ、楽しい思い出をたくさん共有して、もし、いつもそこにいた誰かが欠けたら、そこへぽっかりと穴があいてしまう、そういう存在が「家族」ではないかと思っています。血が繋がっていても繋がっていなくても、そこにいるのが当たり前で、そこにいないのが考えられない、いなくなったらその喪失感に涙がとまらない、それが「家族」でいいんじゃないかと。「血縁が」とか「分娩が」ではなくて、毎日積み重ねていくものこそが絆を作ると考えるのは間違いでしょうか。生活や感情というものが、法律の中には書き込まれていないような気がしてしまいますね。いうまでもなく、分娩によって生じる太い絆は母子間を結ぶ確かなものです。それは生命の神秘であり消えることのない大切な繋がりであると、私も心から信じています。でも、それがないと「絆はゼロです」と決められてしまうのは何とも残念なのです。公園へ行って一緒に自転車の練習をしたり、お弁当の残し癖を先生に相談したり、他のママたちと悩みを打ち明け合ったり、将来をあれこれ考えたり。そういう本当に小さなことを毎日毎日積み重ねることによって、我が家に流れる空気は少しずつハッピーな色に染まってきています。こんな4人でも幸せになれる。ゼロからだって絆を紡ぎ始めることができる。難しいチャレンジかもしれませんが、もしそれを証明できたら、きっと私は天国へ行けると思っているんですよ。(完)

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