片山正通さん(前編)
Wonderwallを主宰。ストリートブランドからラグジュアリーブランドに至る数々のブティックをはじめ有名企業のオフィス、レストランなどのインテリア内装及び建築デザインの他、プロダクトや家具などのデザインも手掛け、幅広い分野で活躍しているWonderwall 片山正通さん。常にニュートラルな姿勢を持ち、クライアントの思いを具現化することを徹底するその仕事への考えを伺い、信頼と注目のやまない所以が伝わるインタビューとなった。インタビュー前編ではインテリアデザインの道に進むに至るまで、上京された頃のこと、インテリアデザインの仕事で独立するきっかけなどを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年8月7日)
「インテリア」を機に岡山を出る
―僕が最初に片山さんの作った空間に触れたのが大学の時、ちょうど1999年頃に大阪心斎橋のA Bathing Apeの店舗に入った時でした。当時は片山正通という人物が手掛けたという認識ではなかったんですが、不思議とあれだけ未来的な空間なのに、とてもノスタルジックなものを感じました。なぜか懐かしくて、不思議だなと思ったんです。東京に来た後は作品集を見ながら「ここも片山さんの手掛けた空間だったのか」ということがたくさんありました。共通して思うのは、それぞれの空間において全く異なるコンセプトやイメージがあるのに、中心に貫く何かがあるということです。それがどこから来るのか、このインタビューで探れればと思ってます。
まず、インテリアデザイナーの原体験として、例えばよく見ていたデザイナーの作品や憧れていたデザイナーの方の存在などありましたか?
インテリアに関連する様なものを見ていたという事は全くないですね。僕が生まれた岡山の家は家具の小売屋なんです。地上5階建てのビルの最上階に住んでいて、下が全部家具屋でした。当時は、デザインや美術というものにもあまり興味はありませんでした。高校生になって初めて音楽や洋服が好きになりましたが、あくまでも趣味的に好きという程度でした。できれば野球選手になりたいとか、ミュージシャンになりたいとか思っていましたが、自分は将来何になるかということをきちんと考えていなかったですね。強いてデザインと言うと、高校生の頃DCブランドブームにはまって、アルバイトで稼いだお金を全部洋服につぎこんでいたことぐらいです。デザインってファッションとしてかっこいいなと思っていました。音楽でもジャケットがかっこいいとか思っていましたが、デザインというものをあまり意識したことはありませんでした。
―高校を卒業後、岡山から大阪の専門学校に行ったそうですが、それはインテリアがテーマだったんでしょうか?
進路を決めるとき、親父に「家具屋を継げ。大阪行って勉強して来い」って言われたんです。田舎の家具屋って「インテリアショップ」って呼ばれていたりしますよね?なので、「インテリア」の学校に行こうという単純な発想で、大阪の専門学校に入学を決めました。勉強したいというより、大阪に行けば、ファッション雑誌のブルータスやポパイに出ているようなお店に行ける、インディーズのレアなレコードが買いやすくなる、というミーハーな思いばかりでした。学校に行き始めてから、インテリアは家具のコーディネートじゃなくて、空間を創る勉強だということを知りました。
―そこでインテリアデザイナーになりたいと思うきっかけは何だったのでしょうか?
当時はバブルの下地みたいな時期で、まだ「若手」と呼ばれていた安藤忠雄さん、そして高松伸さんらが関西で面白い建築をデザインしていたんです。どんなお店でも、かならずデザインが必要で、それをデザインしているのがインテリアデザイナーだという事がわかったんです。「あ、かっこいいかもしれない、これは面白い仕事かもしれない」と思いました。テレビに出ている空間デザイナーやプロデューサー、インテリアデザイナーもいましたから華やかな仕事に見えました。実際は地味な仕事なんですけどね(笑)。
「このままだと終わってしまう」という違和感
―インテリアの専門学校を卒業されて、何をされたんですか?
大阪のある会社に入りました。その会社は歯科医院の専門の設計会社で、毎日ひたすら歯科医院の設計図ばかり書いていました。すごく違和感がありました。
―違和感ってどういったことだったんでしょう?
音楽にしろ、ファッションにしろ、当時はかっこいいものに憧れていた僕からすると、単純に今の自分はかっこ悪い、自分の理想とは違うと思ったんでしょうね。「俺、このままだと終わってしまう」という気持ちになったんですよ。急に怖くなりました。今の自分は諦めるか戦うか、どちらかしかないと思ったんです。そこで、前へ出て行かないと始まらない、とにかく東京に行こうと決めました。「そうだ、京都に行こう」みたいな感覚で(笑)。
初めてのボーナスがあと10日位でもらえるタイミングで、東京の設計事務所に受かりました。ボーナスもらってから辞めようと思って、「1ヵ月後でいいですか?」と聞いたら、「だめだよ、2週間後に来てよ」と言われて、これはしょうがないとボーナスをあきらめて、東京に出てきました。今考えると、東京に来るというこの時の決断はすごく大きなものだったと思います。
―東京に出る前は、東京に対してどんなイメージを持っていましたか?
当時の僕にとって「東京」は海外のような、例えばアメリカやパリのように距離のあるもので、憧れの気持ちを強く持っていました。今も雑誌をよく読みますが、当時は本当によく読んでいたので、あの道を曲がればあの店があると把握していた位ですよ。
"実は一番怖かったのは田舎に帰るということだった"
―憧れの東京に出て、どうでしたか?
もう、怖くて怖くて。ちょうど80年代後半で、バブルの初期でした。
入った設計事務所もテレビに頻繁に出ているようなところで、上京したてで友達もいないし、街に出ればたくさん人がいて、なんだか縮みあがっちゃいましたね。景気が良かったのもあって、自分だけ取り残されている気分になりました。そこで「俺はダメかも」と思ったんですけど、実は一番怖かったのは田舎に帰るということだったんです。「あいつ帰ってきたよ」って言われるのが一番嫌だったんです。プライドもあるし、帰りたくても帰れないという感じが強かったです。そんな時期が随分続きました。
―実際の東京での仕事は、理想に近い仕事が出来たんですか?
いえ。面白い仕事をしている設計事務所でしたが、入社間もない僕に出来る事と言えば、ボスのクリーニングを出しに行ったり、DM届けに行ったり。それも当たり前なんでしょうけど、当時は何か違うなと思いながら過ごしていました。
―そこから独立されてH. Design Associatesを立ち上げるまでの経緯はどうだったんでしょうか?
上京までして入った会社を2ヶ月程で辞めて、転職したんです。そこではちょっとデザイナーらしい事をようやく出来る様になったのですが、そこも2年で辞めました。その後にもう一つ設計会社に勤めてからフリーになったんです。フリーの時期を経て友人と共同設立したのがH. Design Associatesです。だから、同じ会社に長く勤めたことがないんですよ。これまで落ち着いてじっくりと師匠に教えてもらったという感覚はないですね。
―そういった中でデザインの面での自我は芽生えてきたのでしょうか?
その頃は慣れるので精一杯でした。例えば、言われた時間内に図面を書くとか、追いつくのに精一杯でした。もちろんデザインが好きだったんですけど、「何かこういうことをやりたい」ということを考えるレベルではなかったのが正直なところです。
―そこで何社かで働いてみて、次は独立しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
なんとなく、でしたよ。杉本貴志さんが設立したスーパーポテトという会社を独立された方の事務所で働いていた経緯があったので、スーパーポテトによく遊びに行っていたんです。そこで作っている模型を見ながら、すごいな、こういうことやりたいなと刺激を受けていました。そんな時に、そこのスタッフの友人が、そろそろ独立をしたいと言い出して、「じゃあ、俺もしよう!」という感じで一緒に会社を始めたんです。でもバブルははじけまくってましたよ。そんなことも全然考えてなくて(笑)。ですから、いろんな人に陰口言われましたね。「バカじゃないの、仕事がないのわかっていて、どうして独立するの。」と。今思うと、本当に何も考えていなかったんでしょうね。知らないということはある意味良いことですよね。
"生活があって、光が点在している光景が好きなんです"
―独立する前に海外旅行へ行かれたんですよね?
はい。それ位の年齢になると、周りが「アメリカが良かった」、「ヨーロッパが良かった」なんて言うんですが、当時僕は海外に行ったことがなかったんです。西欧のカルチャーを全く見たことがないので、まずいなと思って、2ヶ月半の旅に出ました。N.Y.から入って、L.A.、車でラスベガスやグランドキャニオン、サンフランシスコを見て、ローマに飛んで、フィレンツェ、ベニス、ミラノ、パリ、ロンドンを見て、N.Y.に戻りました。アメリカ経由で10万円くらいの、安いチケットで周りました。デルタ航空だったかな。帰国後「俺は一通り見た」などと言ってましたよ。見えてないんですけどね。これで一応見たことにしようと思いました(笑)。
―その旅の中で強い刺激を受けたものは何でしたか?
一番感動したのはグランドキャニオンです。見た時は涙が出ましたよ。これは凄いと。僕が飛行機で落ちてもあんまり関係ないように思えるくらいすごくて、迫力も美しさも圧倒的なものでした。また見たいなと思います。あとはマンハッタンの高層ビル群もやはりすごく感動しましたね。
―N.Y.の摩天楼とは、グランドキャニオンとは全く対照的ですね。
摩天楼は人がつくったもの、グランドキャニオンは自然がつくったもの。人がつくったものでも凄いものがあるとその時感じました。僕、田舎者だからビル群とか見るだけで楽しくなっちゃうんです。あちらは地震がないから日本よりビルが高くて、余計に感動しました。この旅で世界が広いことを実感して、アメリカやヨーロッパのデザインの世界で、何かやってみたいという気持ちが徐々に芽生えてきたと思うんです。 そういえば小学校の時、母親が百貨店に連れて行ってくれて、「なんでも好きなポスター買っていいよ」と言われ、マンハッタンのポスターを買ったことがあるんです。未だに実家に行くとそのポスターが貼ってあるんですけど(笑)。なぜマンハッタンのポスターを買ったのか、小学校6年生の頃なので今思い返しても全然わからないんですよね。ポスターは上から俯瞰して見ている構図で、おそらくワールドトレードセンターあたりから撮っていたと思います。生活があって、光が点在している光景が好きなんですよね。理由はわからないんですが、潜在的にその光景に何か感じるものがあったのかもしれないですね。(次週、中編に続く)
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片山正通さんに関する最新情報はWonderwall Inc.のWEBサイトでご覧頂けます。
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