佐野元春さん(前編)
1980年のデビュー以来、常に日本の音楽シーンに新鮮な驚きと多大な影響を与え続けている佐野元春さん。三週に渡ってお送りするインタビューは、音楽の原体験、ソングライティングの手法、新作「COYOTE」について、など様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年7月25日)
言葉の中にある適切なメロディ、
メロディの中にある適切な言葉
―僕自身が初めて佐野さんの音楽に触れたのは1992年、16歳の時でした。牧瀬里穂さんの出演していたドラマを見ていた時に、主題歌で初めて佐野さんの音楽を聴いて、大げさに言うと卒倒しそうになったんです。初めて「君は行く、奪われた暗闇の中で戸惑いながら・・」という歌詞と音楽を聞いた時に受けた印象は、言葉で言うのはとても難しいのですが「継ぎ目のない洋服」のような感じがしました。というのは、この歌は音楽から来ているのか、それとも詩と言葉から来ているのかがわからない感覚を受けたんです。
佐野さんのその創作過程において、言葉と音楽、どちらが先に出てくるのか、あるいはどういう形で言葉や音楽が降りてくるのか、教えていただけますか?
僕の仕事はソングライティングです。ソングライターはそれぞれにスタイルを持っていると思うんです。僕のスタイルはメロディと言葉とリズムが継ぎ目なく一体化したものです。言葉が先か、リズムが先かメロディが先かということではなく、自分の内側から出てくるそれら一連なりの表現として、自分のソングライティングがあると考えています。
そもそも自分がこうして話す言葉の中にはある適切なメロディが隠れてるんです。ソングライターとしての僕の仕事はその隠れたメロディを辛抱強く引き出すことにあります。それと同様に、あらゆるメロディの中には適切な言葉が既にあるんです。ソングライターとしての僕の仕事はその言葉を辛抱強く引き出すことにあります。それが僕のソングライティングについて思うことです。
―佐野さんにとっての音楽の原体験、例えば聴いていた音楽や感動したロックンロールなどからの影響はどの程度あるのでしょうか?
僕がソングライティングを始めたのは12歳位の頃です。当然、どう曲を書いていったらいいのか、どう詩を紡いでいったらいいのかわからないので手本を求めますよね。僕の場合は欧米のソングライターの曲からソングライティングを学びました。
時代で言うと70年代の音楽ですね。特に「言葉」を持ったソングライター達のレコードをよく聞きました。ランディー・ニューマンや、トム・ウェイツ、ボブ・ディラン、そうしたソングライター達のレコードを聞いて育ったんです。僕の場合にはそうした音楽が手本でした。僕の拙い英語力ではあるんだけれども、彼らの音楽を聴くたびに、社会に一撃を食らわすような強烈な風刺を感じました。同時に曲の端々に聞き取れる愛しい者への愛情表現にも心魅かれました。そして自分にこれほど大きなインパクトを与えるソングライティングというものにますます関心を持ち、どうにか自分でもこうした力のある曲を書いてみたいと思うようになりました。その頃から曲作りが始まったんです。
"自分が聴きたい音楽は自分で作ろうと思った"
―その頃にいわばロールモデルになった音楽というのはロックンロールだったということですね。トム・ウェイツやボブ・ディラン、ビートルズだったり。日本の音楽シーンの中で、佐野さんにとってそのようなロールモデルになるような音楽家はいなかったのでしょうか?
国内の音楽も楽しみに聴いていました。ただ自分が積極的に聴きたいと思う曲はなかったですね。自分が聴きたいと思う音楽は自分で作ろうと思いました。それが1980年に発表したアルバム「Back To The Street」の中の「アンジェリーナ」や「情けない週末」、その辺りの曲に繋がっていったと思います。
"音楽の中の言葉というのは、詞であるのと同時にポエトリー(詩)でもある"
―多くの人が思っていることだと思いますが、佐野さんの音楽には音楽性だけでなく、高い文学性を感じます。それは佐野さんが育った、あるいは、音楽を始めた時代と関連しているのでしょうか?
1980年以前の国内の音楽は、知的な要素とかリテラルな要素はメインストリームの音楽にはほとんど見受けられませんでした。もちろん僕の知らないところでアンダーグラウンドの音楽表現にそうした音楽表現はあったのかもしれないですが、自分の目につくところにはなかった。
そもそも多感な頃にボブ・ディランや、ルー・リードの曲を聴いて育った訳ですから、音楽の中の言葉というのは詞であるのと同時にポエトリー(詩)でもあるというのが僕の中での自然な受け止め方でした。ポエトリーというからにはそれは一つの表現ですから、そこにリテラルな要素や政治的な要素、詩的な要素が自然に入り込んできた。
僕がデビューした80年代というのは、それまでの歌謡的なメインストリームの表現に留まらず、表現としてもっと可能性を追求していこうという若いソングライター達が出てきた、僕はその始まりの一番先頭に立っていたように思う。
"あんな難解なアルバムがチャートNo.1になるなんて、これは革命だと思った"
―1983年に佐野さんは渡米されました。デビューからそれまでのいきさつであったり、その渡米がそれ以降の佐野さんにどんな影響を与えたのか、お話を伺えますか?
1980年からの3年間で、「Back to the street」、「Heart Beat」、「Someday」、「No Damage」をリリースしました。当時は自分が作り出す音楽にどれほど商業的な価値があるのかあまり考えていなかったし、自分自身さほど関心はなかった。しかし幸運なことに、僕の音楽を、当時の特に都市部の新しい世代が支持してくれた。アルバム「Someday」がトップ10チャートに入った時は、自分のやり方でもやっていけるのだと大きな自信がつきました。
その自信を元に、それまで国内の誰もがやったことのない全く新しいポップロック表現を試みてみようと思い、N.Y.のマンハッタンに行きました。1年ほど暮らす中で、「Visitors」というアルバムを作り、それを日本に持ち帰ってリリースしました。このアルバムは、U.K.、オーストラリア、北米でもリリースされました。「Visitors」はヒップホップラップのマナーに沿った「日本語によるロック・ポップ表現」でした。それは当時の国内ではまったく新しい表現だったので、戸惑った聴き手も多かったと思う。しかし保守的な音楽評論家や流行音楽だけに浸っている人にとっては奇妙な音楽に聴こえたかもしれないけれども、新しい時代のニューキッズ達は、このアルバムを歓迎してくれました。あんな難解なアルバムがチャートNo.1になるなんて信じられない出来事、これは革命だと思った。(次週中編に続く)
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- 「PersonUp.」サイトにインタビュー掲載 from Motoharu News Network 2007-09-12 (水) 19:38
- 各界著名人へのインタビュー専門サイト「パーソンアップ」に佐野元春のインタビュー記事が掲載されている。インタビューは前中後編に分けて3週連続で公開されるとの...




