佐野元春さん(中編)
前編に続く中編のインタビューは、佐野さんの音楽表現のスタイル、聞き手が感じる「普遍性」に関する佐野さんの考え、描くモチーフをどのように選んでいくか、新作アルバム「coyote」のお話など様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年7月25日)
"かつて多感な頃触れた偉大な表現者と同様に、いつの時代でも愛される曲を書いてみたい"
―例えば今の「Coyote」というアルバムを聴いて初めて佐野さんの音楽を知った10代の若者がいたとしたら、80年代のアルバム「Visitors」を聴いた時にも彼は同じ様に新鮮に聴けると思います。それはとても稀なことだと思ってます。「Visitors」が普遍性を持つということを、あの当時想像したり意図していたのでしょうか?
自分の作る音楽がいつの時代でもそれなりに響いてくれたらなぁ、と思います。多感な頃に触れていたポップカルチャーを振り返ってみると、音楽に限らず映画やコミックなど当時僕の周りには楽しいものが溢れていた。音楽に夢中になる以前に、僕はコミックに夢中だった。特に「鉄腕アトム」を始めとする手塚治虫作品が好きだった。もっと以前で言えば、両親に連れて行ってもらって観た一連のディズニーのアニメーション映画ですね。ディズニー、手塚治虫、ポップ音楽で言えば、ビートルズ、ディラン。そうした作品に共通しているのは強烈なノスタルジーの感覚。新作の中にでさえ何か未来をも凌駕するノスタルジーを感じる。その感覚を「普遍性」という言葉で言い換えることができるのかもしれないですね。時代を超えた良質なノスタルジー。そこに人々はある愛しさを感じるんじゃないでしょうか。自分も詩や音楽を紡ぐ才能があるならば、かつて多感な頃触れたそうした偉大な表現者と同様に、いつの時代でも愛される曲を書いてみたい、という思いはずっとあります。最初のレコードから「Coyote」にいたるまで、その思いは変わりません。
"裸の瞳で書き上げた作品が結果的に力を持ち、普遍性を獲得できる"
―以前、佐野さんがインタビューで音楽表現を「スケッチをしているように」と喩えてらっしゃいましたね。例えば目の前にいるカップルを、スケッチをするように言葉とメロディで「描く」。そのお話がとても印象的でした。だからこそ普遍性を持つのかなとも思います。
創作をする上で、自分の個人的な経験というのはもちろんトリガーにはなり得るのですが、その経験がそのまま歌になるかといったら、そう簡単にはいかない。ですので僕の場合は、自分の喜怒哀楽はとりあえず横に置いておくことにしている。むしろいろいろな人を見て「観察」することが楽しい。それは自分ととてもよく似た誰かであったり、想像上の人物であったりする。そうした主人公たちが織りなす「物語」を書いてきたつもりです。「サムデイ」、「ロックンロール・ナイト」、「約束の橋」「ミスター・アウトサイド」や、「経験の唄」、「コヨーテ、海へ」もそうですね。僕のソングライターとしての役割は良い物語を書くことにあります。そこに普遍性を見つけてくれるのは聞き手です。作家は普遍性を盛り込もうとして、技術だけで創作に向かうとたいてい失敗します。その時々の自分に正直になって裸の瞳で書き上げた作品が結果的に力を持ち、普遍性を獲得できるのだと思います。これは僕がかつて経験してきたことですね。個人的には、その時代の人々の暮らしを見て、彼らの喜怒哀楽を側面からそっとバックアップできるような、そうした詞や曲を、物語として唄っていけたらと思っているんです。
―「描く」モチーフの選定には特別な思いや考えはありますか?
僕の場合は、否定的な感情や悲しい心情を、意図的に唄の中に盛り込まないように気をつけています。表面的な「希望」や「癒し」の唄を聞くと、なんだか自分がバカにされたような気がしてあまり気分が良くない。反対に表面的な「絶望」や「哀しみ」の唄を聴いていると時間を無駄づかいしているようで楽しくない。商業的には「哀しい」唄の方がウケがいいかもしれないけれど、そうした曲をすすんで書こうとは思わない。ネガティブな感情や悲痛な叫びというものに、人は意外と簡単に反応します。しかしすぐに反応することをもって、自分の表現を理解してもらったと思うのは、大きな勘違いなんです。僕は創作する上で時折思うのは、聴き手とネガティブな感情で結びつきたくない、ましてや自分が作る作品がそうした「負の繋がり」を助長するようなものであってほしくない、ということです。
そういう思いがどこかにいつもあるので、表現にバイアスがかかることもありますが、だからといって自由に表現してないかというとそうではないんです。一方、ポジティブな情感、喜びとか幸福感といった形は本当に千差万別です。人々によってその形の解釈はバラバラなんですね。現代において、真実や希望、愛や美といったテーマを取りあげるのはとても大きな困難がつきまとうと思う。ともすれば表現が抽象的になりすぎて意図が聞き手に伝わりにくいことになりがちです。
ソングライティングを通じて "自分を知る"
―今まさにおっしゃられたことですが、「Coyote」を聴いてる私達にもとてもポジティブに響きます。そして、僕が最初に「Coyote」を聴いた時に感じたのは「とてもポジティブだ」ということだけでなく、「これは他人事ではない、これは僕の歌だ」ということです。つまりとても強い説得力を持って胸に届いてきました。それは、佐野さんがポジティブなことを描く時に、同時に真正面からネガティブなことも目を逸らさずに見ているからじゃないかなと思います。その点で、佐野さんがいまの時代において、ネガティブなことを見たり考えたりする時、怒りや悲しみ、孤独、いろんな感情が沸いてくると思いますが、どのようにその感情と向き合っていくのでしょうか?
僕の場合は、結局、創作を通じてそうした感情をやりくりしているんだと思う。僕だけではないと思いますけれど、こうした時代に生きていると、今起こりつつあることが理解し難くなって感情が乱れることがあります。そんなときに、創作をしたりソングライティングをするということが、自分にとっての最も有効なセラピーになるんです。自分が今何を感じ、何を考えているのか、そういうことをソングライティングを通じて見出していくということですね。自分を知る作業、ということです。ソングライティングというものは本当に深いもので、僕は仕事とは思っていない。食事をしたり、運動をしたりするのと同じで、日々の生業の一つです。
"映画を作ったつもりになって先にサウンドトラック盤を作った"
―前作の「The Sun」と「Coyote」を聴くと「The Sun」は短編小説集のような、「Coyote」は長編小説集のように感じました。「Coyote」の曲リストには「Part1」「Part2」と記され、二つに分けられています。一曲一曲を取り出して聴くというより、アルバムを通して聴くことに大きな意義があると僕は思いました。一つの映画を観ている感じかもしれません。
本来だったら、先に「Coyote」というタイトルの映画が存在していてほしかったんです。そのサウンドトラック版を僕が担当する、というイメージだったんです。しかし、残念なことに僕は映画監督ではなくミュージシャンなので、映画を作ったつもりになって先にサウンドトラック盤を作ったということになります。Part1、Part2というのは、映画における第一幕、第二幕という風に思って頂ければいいです。このアルバムをモチーフに脚本化したいという方がいればもちろん相談に乗ります。(次週、後編に続く!)
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また、オフィシャル・ファンサイトMoto's Web Serverでは、このニ作品のリスナー、読者からの感想を募集しています。
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