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佐野元春さん(後編)

最終話となる後編のインタビューは、音楽を包むパッケージやアートワークへの思い入れ、ネットコミュニティでファンも盛り上がるアルバム「COYOTE」に隠された謎、「現代」を「荒地」と見立てた創作のアプローチ、若い世代に向けての佐野さんからのメッセージなど様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年7月25日)

「どのような形態で買われたか」ではなく、
「どのようにその人の心に響いていったか」

―佐野さんの楽曲はiTunesのミュージックストアで購入できるようになってます。僕自身もiTunesをとても良く使いますし、気軽に良く楽曲を購入しています。楽曲がリスナーの手に届くまでの形態は本当にさまざまになっていくと思いますが、そのことについて何かこだわりはありますか?僕は、「COYOTE」という作品は、音楽データそのものだけでなく、このパッケージの質感やデザイン、歌詞カード、CDの盤面もろもろ全てを含めて感じたいと思いました。

僕の作った音楽はどこで誰にどのように聴かれても、自由だと思います。パッケージを楽しんでもらったり、しっかりした音質で聴いてもらうのも嬉しいですし、ダウンロードで少し音質が落ちるけれども僕の新作をすぐに聴きたいという人にとっては楽しみの一つでしょうね。この先メディアがどう変わっていくのか、それはわからないけれども要は自分の作り出した音楽が「どのような形態で買われたか」ではなく、「どのようにその人の心に響いていったか」。そこが僕にとって一番気になるところですね。しかし個人的に言えば、やはりパッケージが好きです。それは多感な頃、30センチ・アナログレコードの時代にあった優れたアートワークをたくさん見てきたからかもしれないですね。音楽というのは音楽だけに留まらずその向こうに限りなく広がっている文化に触れることでもあるんです。だから僕はレコードを買う時には自分が好きなバンドやソングライターの「音楽」だけを買うのではなくて、その先に広がっている「文化」も買っていたのではないかと思います。それには音楽だけでなくそれを包むパッケージや優れたアートワークはどうしても必要になってくると思います。現在僕はDaisy Musicというレコード会社を主宰・運営していますが、レーベルではパッケージやアートワークにコストをかけています。CD作品は、音楽をアートと共に、トータルで楽しんでもらうものとして、これからも追求していきたいと思っています。

"「COYOTE」というこのアルバムは、いろいろと謎の多いアルバム"

―例えばmixiというソーシャルネットワーキングサービスがあるんですけれど、そこの佐野さんのファンの方が集まるコミュニティで「COYOTE」にまつわる謎について、パッケージの話も含めて、皆さんが議論されているのを見ました。mixiというネットだからこそ実現したコミュニティの中で皆さんがパッケージに隠されている謎や意味についてを真剣に語り合ってるんです。そのコミュニティでひっきりなしにコメントが入っているのを見て、アナログとデジタルはとても良い形で、必要なものを取ってくるという風に共存するんじゃないかと思いました。

僕自身は直接接することはないんですけれど、ネットコミュニティというのは面白いですね。言ってみればデジタルな技術の上に成り立った仮想コミュニティと言ってもいいかもしれない。もしこの「COYOTE」というこの作品がそのように話題になっているとしたら、それはそれでとてもうれしいです。「COYOTE」というこのアルバムは作者の僕が言うのも何ですけれど、いろいろと謎の多いアルバムで、それは聴いてくださった方にその謎を解いてもらえれば作っている僕も嬉しい。

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―「us」という曲の中の「心のハーモニー」というフレーズがとても印象的でした。この言葉が生まれたきっかけはどういうものだったのでしょうか?

宗教や人種や思想、イデオロギーそうしたものに阻まれて本来人々は友愛で結びつくところ、世界は多くの問題で抱えていますよね。それが引き金となってusという曲ができました。

"どんな時も共通してあるテーマは「人間性の喪失」"

―もう一つ、アルバムを聴いて耳に残るのが「荒地」という言葉でした。佐野さんがN.Y.に行かれていた時に作られたミュージッククリップがありますね。今見てもとても刺激的で新鮮なミュージッククリップと思うのですが、そこのタイトルバックに「荒地物語」と書かれています。もう20年も前のことです。第一次世界大戦後のT.S.エリオットによる「Waste Land(荒地)」に遡れば、彼が見ていた景色は文字通り「荒地」だったのだと思います。それから、1950~60年代のビート詩人達が見ていたものも、「荒地」だったのかもしれません。そして、今、21世紀初頭に生きる僕らが見ている景色も「荒地」と表現できる。まさに「COYOTE」が描く今の社会ですね。そうやって考えていると疑問が浮かんできます。表現者達がプロテストしていく対象というのは、その時代ごとに変わっていくものだと思いますか?それとも、通時的にいくつもの世代が積み重なりながら、本質的には「同じ何か」に対してプロテストし続けているものだと思いますか?

昔の表現者も今の表現者も広い意味で見たら取り上げているテーマはそう変わらないと僕は思います。「荒地」というテーマで言うと、今自分がいるこの場を荒地としてとらえて、そこから何か表現を立ち上げてという表現行為で、古くはT.S.エリオットから始まり、50年代のビートジェネレーション、日本の現代詩では、戦後「荒地派」と呼ばれた詩人達の表現もそれに近かった。個人的なことで言えば、N.Y.で撮影した「Complication Shakedown」というアートビデオの中に、荒地物語という映画の看板のようなものをパロディめいて出したり、その後90年代の「新しい航海」という曲の中で「君が見えてくれる、荒地の中で」という詞を歌った。ですので「現代」を「荒地」として見立てた創作のアプローチは、この「COYOTE」に始まったことではないんですね。ただ、どんな時も共通してあるテーマは、「人間性の喪失」といったところにあるのではないかと思います。「ヒューマニティの危機」と言い換えることもできます。昔の表現者も今の表現者も広い意味で見たら、だれでも概ねその辺りに興味があるんじゃないかと思います。

"こうした時代に正直に生きていくとしたら、
自ずとアウトローにならざるを得ない"

―「コヨーテ、海へ」という曲の最後で「ただ自分自身でありたいだけ」という言葉があったのですが、今おっしゃられたことともまさにそのことではないかと思いました。自分自身でいるために、いろんな雑音だったり、周りの流れがある中で、自分自身を保って生きていく。アレン・ギンズバーグがあるインタビューで言っていた、「社会的な革命を起こそうなんて思ってなくてただ自分自身の魂に対して正直でいたかった」という言葉が、以前痛切に響いたんですけれど、それに近い感覚をこのアルバム「COYOTE」を聴きながら感じました。最後に若い世代に向けて、例えばまずこれからの10年を生きていく時に、こういうものが必要だよというようなメッセージを頂けますか?

僕の言う個人的なメッセージはほとんど役に立たないと思う。作品を聴いてもらってそこで感じてもらうことが全てです。個人的なメッセージを求められることはとても多いんですが、僕自身は何も考えてないんです。自分の経験でしか物を言えませんしね。ただ思うのは、こうした時代に正直に生きていくとしたら、自ずとアウトローにならざるを得ない。若いうちから道を踏み外せとは僕は口が裂けても言えないけれど、覚悟と勇気があるならそうして生きてみるのも面白いんじゃないかと言いたいですね。

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佐野元春さんのポエトリー関連の2作品がリリース!大好評発売中です。詳しくは、佐野元春さんの最新情報ページでご覧ください。
また、オフィシャル・ファンサイトMoto's Web Serverでは、このニ作品のリスナー、読者からの感想を募集しています。

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