桜井章一

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桜井章一さん(前編)

麻雀の裏プロとして、引退するまで20年間無敗という驚異的な伝説を持ち、「雀鬼」と呼ばれる桜井章一さん。引退後は麻雀を通して人としての道を後進に指導する「雀鬼会」の会長を務めている。モデルとなった漫画や映画も数多く、著書も多数。麻雀界を超え、さまざまな分野に数多くの共鳴者やファンがいる。世間の常識を気にすることなく、自然体。常に周りへの気遣いがあり、慈愛に満ちた桜井章一さんの人柄を実感するインタビューとなった。インタビュー前編では桜井さんが語る「とてつもない運」について、自分で全て「選択」したという桜井さん流の生き方、麻雀との出会い、桜井さんの「仲間」観など様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年9月20日)

"自分のために頑張る勝負じゃなくて、人を活かすために自分が頑張る、そういう勝負もある"

―僕が一番最初に桜井先生の本と出会ったのは、今から7年ほど前、大阪に住んでいた時でした。麻雀が大好きな先輩がいまして、その先輩に「これ読んだほうがいいよ」と桜井先生の本を薦めてもらったんです。僕は麻雀の経験がなかったので、正直なところ、やんわり断ろうとしてたのですが、「そんなの関係ないから絶対読んだほうがいい」と言われて渋々読むことにしました。これが先生の言葉と出会ったきっかけです。

私はこう考える。
外面的なことに身を任せるのではなく、自分という内面に身を任せるのなら、自分という存在に確信を持つことができるはずなのだ。換言すれば、外面的なことだけに関心の目を奪われていては、いつまでたっても主体性を確立することなどできない。

雀鬼流。―桜井章一の極意と心得(三五館)

その時受けた衝撃は忘れられません。以来、麻雀やっている人にいつも訊くことがあるんです。「お金を賭けない麻雀ってできないんですか?」ということです。 その度に「麻雀はお金を賭けないと成り立たないよ。お金を賭けなかったらみんな大きな手を狙いにいくだけになって、駆け引きがなくなる。真剣勝負にならない。」とみなさん異口同音に言います。僕は麻雀を知らないのですが、桜井先生の本でかいま見る雀鬼会の「麻雀」には全く違う世界観があると感じます。そのことについてお考えを聞かせてください。

みんな、麻雀でお金を賭けないと成り立たないと言うでしょ。俺は麻雀以外で、9年間とある会社で無給で働いたことがあるんだよ。普通仕事をやったらお金をもらうのが当たり前でしょ。でもその時実際に、お金をもらわなかったからこそ、もらったよりも多く学べたという体験がある。これは仕事と結びつけた場合だね。麻雀で賭ける賭けないという以上のこと。無給だけど多分会社で一番働いただろうし、業績は俺が一番上げたと思う。それをお金で決められて、例えば給料30万円だよと決められたら、「それだけの仕事したらいいんじゃないか」とか「自分の時間が欲しい」とか、そういう気持ちが出てくることってあるでしょ。俺は最初から無給、いくらやっても無給だった。そういう体験を仕事上でしたからね。
この道場はお金を賭けないで麻雀しているんだけど、皆真剣だよ。お金を賭けないでもできることがあるよね。勝負って色々ある訳だよ。お金のやり取りだけが勝負だと思ってるだろうけど、「人のために何かをする」という勝負がある。自分のために頑張る勝負じゃなくて、人を活かすために自分が頑張る、そういう勝負もある。

―今のお話で、ある会社で無給で働いたとのことでしたが、そのきっかけはどんなことだったんですか?

若かりし頃、お金を得るということは汚いと思ってたんですよ。どこかでそんな風に感じていた。みんな働いてお金をもらうけれど、それが何だか汚いことに思えて。いわゆる違和感や抵抗感だったんだろうね。みんなお金というものは欲しいじゃないですか。皆それを一つの目標のようにして頑張るわけだね。けれど俺はあまりそういう気持ちがなかった。じゃあ、不自由かといったら不自由じゃなかった。不自由と思ったことはなかったね。恵まれてるということだね。恵まれていた。勝負でも、勝っちゃうんだよ。それが必ずしも良いことだとは言わないよ。過去でも勝負をやって勝ってきて、そういう時は良いけれど、でも今考えるとあまり格好良いことではないね。じゃあなんで勝ってたんだろうと考えると、恵まれていたんだろう、運に。俺は「とてつもない運」に恵まれてたんだよ。

"自分で物事を選択する人間だった"

―桜井先生が幼少の頃から培ってきた「運」なのでしょうか?

そうだね。非常に。
もちろん、豊かな生活をしてた訳ではない。でも自分でやりたいことをやっていた。学校に行くと「学ぶ」ということが生まれるでしょ。でもそれが嫌だったから、遊びを選んだ。小学校時代には宿題もやったことなかったよ。学校で学問的な「学び」というのは一回もやったことがない。じゃあ、何をやったかというと全部遊びですよ。昼休みや授業と授業の間の束の間の休み時間、放課後、その時間が楽しくて学校に行ってたね。夕方お腹が減るまで遊んでね。「後々役に立つかどうか」ということじゃなくて、「今つまんないか、面白いか」という選択の中でいつも面白いことを選択してた訳だ。「今は大変だけど、今は苦労するけど学んで何かやりなさい」とどうせ言われるんだろうけど、俺はそういうことは聞かないところがあったから、いつも自分で選んでたね。
人間というのは連続する動物だろ?生命を連続させるために生きてる訳だ。自分の命を明日保つために生きてる。そのために生活というものがある。その中に「選択」ということもある。何を選ぶかだと思うよ。君が今この仕事を選んだのも全て選択して歩んでる訳だね。俺も親の言うこと、学校の先生の言うことよりも自分で物事を選択する人間だったんだ。

そうやって、たまたま小学校では一回も勉強しなかったから、学校の中では俺が一番成績悪かっただろうね。でもその時に楽しみにしてた遊びで得たものは、未だに変わらない。結局、勝ち負けではなくても負けると面白くない、つまんない。勝ってるとやっぱり楽しいじゃない?たまたま楽しいほうを自分で選んで、遊ぶことを選択した訳だからね。麻雀も結局楽しいほうを選んでるから、その結果勝った話でね。

"欲張りになるのは嫌でね"

―僕も含めて大半の人が思ってると思うんですけど、そういう「選択」に「醜い欲」が入り込んでくることはなかったですか?

欲はあるよ。人間ですから。欲が全くないとか、嘘が全くないとかそんなことは人間じゃないからね。多かれ少なかれそういうものは入ってるんですよ。ただ、そういうものを極力自分で抑え込むか、それを核として生きてしまうか。 だけど、俺はやっぱり極力抑え込むように生きてきたな。欲張りになるのは嫌でね。子供心に「花咲か爺」の話とか聞いてるじゃない?勉強しなくても絵本のお話とかは聞いて覚えていたからね。

―桜井先生が麻雀に出会ったのは大学生の時と書いていらっしゃいましたが、初めて麻雀を見た時の印象はどういうものでしたか?

麻雀は父親がやっていて、母親が泣いていたのを見ていて、これは世の中には一番あってならないことだと思っていた頃があったよ。それがある時たまたま暇でくっついて行った場所が雀荘で、後ろで麻雀してるところを見ていたんだ。その時みんな数で考えてるけどこれは絵じゃないかと思ったわけ。絵心で見てると視野が広くなるものだよ。

"「友達」って一人もいない。その代わり仲間がいる。"

―桜井先生は、様々な分野の第一人者の方々と交わりがあり、またスポーツ選手を始め、格闘家や経営者の方から「心の師」とされて敬意を向けられていると聞きます。桜井先生の交友関係はどのように広がってきたのですか?

今振り返ってみると俺って「友達」いないんだよね。「友達」って一人もいない。 その代わり仲間がいる。家族も仲間でしょ。例えば女房がいて子供がいて孫がいて、いい仲間がたくさんいるんですよ。俺にとっては家庭も仲間なんですよ。この道場生も俺の仲間。外で知り合う立派な先生方も、俺にとっては「友達」じゃなくて仲間なんですよ。そういう意味で「友達」って一人もいないんだよ。その代わり仲間ばっかり。その仲間作りというのが大好きなんですよ。俺が思うには「友達」ってエゴじゃないか、個人的なもんじゃないかと思うんです。仲間って広がりで公的な感覚。そこでとらわれないというか。だから「親友」という言葉はあんまり好きじゃないんですよ。素晴らしい言葉みたいに言われているけれど。人間ってエゴがあるじゃないですか。欲があるようにエゴの部分もある。そういうエゴの部分でやっぱりとらえたものは「友達」だとか「親友」だとかになるように思う。そういう意味で「友達」がいないから寂しいかと言えば全く寂しくない。仲間がいっぱいいるからね。家にも仲間がいる、道場に来れば仲間がいる。今の時代、子供達も学校で仲間を作ればいいんだよね。「友達」作ろうなんて考えるから小さい輪になったり、いじめとかになるんだよ。だから、仲間と考えると限りなく広がると思う。欲じゃないですよ。欲的なこととか、組織を大きくするとか、そういうことじゃなくてね。家族だけっていうのも嫌じゃないですか?身内感覚だけで、家族のために生きるという人間は嫌だね。家族というのがあり、そこから外にまた一つ輪を広げていく、波紋のように広がっていって、どこまで広がるかがその人の人間関係の器だと思う。世の中で言う「人脈」とか「人材」とは違うよ。「人材」と言うのはその人の素質や能力を見つけて、それをなるべく利用する能力。「仲間」というのは相手にお金がなかろうが、能がなかろうが関係ない。そこに能力だとか、金力だとかそういうことは全く入り込まない。

―著書の中にも「来る者選んで去るもの追わずだ」ということを書かれていましたね。

来る者は選んで、去る者は追わないね。危険な匂い、やばい匂いあるじゃないですか。それを何でも受け入れる訳にはいかない。「君はここまでね、これ以上入らないでね。」ということはありますよ。そうしないと自分がどんどん侵されていくからね。だからといって能力なんかで選ばないですよ。能力ある人、金力ある人いらっしゃいとは思わない。「人として」というところだね。生意気かもしれないけど、人としてちょっとでも良い方へ行こうという気持ちがある人だったら、それは受け入れます。

"今日は今日の話であって、君だからこういう話になっている"

―(…沈黙)

つまんない?

―いや、インタビューの計画を練りに練ってきたんですが、桜井先生を前にして話を聴いていたら、頭が真っ白になってしまい、何を訊いていいか分からなくなってしまいました。すみません。

そうだよ、それだよ、それでいいんだよ。ゼロになっていいんだよ。俺なんかも君が来るまで何も考えてないよ。例えば講演会に何の資料も持っていかないし、何を話そうなんて思って行ったことないよ。その時その場の雰囲気で話したいことを話してますよ。今日は今日の話であって、君だからこういう話になっているのであってね。それはね、変化があって当然なことなんだよ。(次週、中編に続く)

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雀鬼・桜井章一、鬼の眼は青かった from aBlog "TV Head" 2007-10-03 (水) 17:46
雀鬼・桜井章一先生にインタビューに行った。有り難い話です。