桜井章一

  • 1カラム
  • 2カラム

桜井章一さん(中編)

前編に続く中編のインタビューは「済ます」ことについての桜井さんの意識、麻雀の勝負の中で「他の人のために打つ」ということ、桜井さんが思う自分自身の欠点、「自然の体」になることの大事さ、私達の世代が失ったものを取り戻すためにどうするべきか、自然を体感することの大切さや「本能」の素晴らしさなど様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年9月20日)

"「粋でいたい」という気持ちがある"

弱い者を助けられるか、信念を曲げずに行動を起こせるか、正直な心を持っているか。
これらがなければ、何をやってもカッコはつきません。男として生まれた以上、男のカッコは自分の力でちゃんと身につけていくべきものなのです。

運命を変える本物の言葉(ゴマブックス)

―雀鬼会の公式サイトではほぼ毎日、桜井先生の言葉が綴られていますね?

公式サイトは去年立ち上げたんだ。手書きで原稿書いて、他の人に打ち込んでもらってる。「俺書くだけでいいの?」って言ったら「いいよ」って言われてね。「1年360本近く書きゃいいのね。」と言って書いてる。俺にとってはそれがどういうものかもわからない。書き過ぎかどうかもわからないし、わからないまま思いついたこと書いてる。誰かに迷惑かけてるのか、負担かけてるのか、嫌な思いさせてるのかもわからない。決まったことだから済ましてるかな。
感覚的に、「済まして」ないとだめというところが自分にあるんだよね。それで「済ます」という字から今度は「澄む」、目を澄ますとか、感覚を澄ますとか、そこに行く訳だ。だからある程度、気持ちとか心とか態度とかよくしていかなきゃいけないなって気持ちがある。それで今度は「粋」になっていくというかね。やっぱり男だから江戸っ子じゃないけど、「かっこいい」という言葉は使いたくなくて「粋でいたい」という気持ちがあるんだよ。「粋でいなせ」という言葉があるでしょ。男なんだから俺は。「男」という言葉はどこ行っちゃったんだろうと思う位、世の中、「男」がなくなってきたね。せっかく男で生まれたんだから、男らしく生きたい。「らしい」という言葉は偉い人たちは否定したけれども、俺はそれでいいと思ってるよ。もちろん俺が完璧な男らしさを持っている訳ではないんだけど。自分の理想、目標、あるいはしがみついているもの、生き様かな。
だから「済ます」という方は完全にやってるよね。毎週雑誌社とかに出す原稿なんかも一回も遅れたことないしね。お金も「済んで」るわけだよ。借金もないし、銀行からも一度も借りないよ。男女の関係もいっぱい「済んだ」と思うし(笑)。それが愛だとは言わないよ。言わないけどもそういうのもいっぱい「済んで」る。麻雀でも「済まし」ちゃえば済むことだよ。そういう感覚、「済ます」という言葉の方は上手にいってる方だと思うよ。

―「間に合う」ということも同じですね。

そう。間に合わしてあげる。間に合わないと人様に迷惑をかけるし、失礼なことだからね。それは絶対に上下に関係なく間に合うように、済ませるようにしたいなと思う。

"だったら敵を味方にすればいい"

―何度も本で読んだんですが、麻雀を4人で打っている時、「他の3人のために打ちなさい」と、書かれていましたね。それと「勝負」というものがどうしても矛盾しているように思えて、腑に落ちなかったんです。

麻雀のことで言えば、麻雀というのは必要な牌をいっぱい持ってこなくちゃいけない訳だけど、必要な牌かどうかはいつだってわからない。一枚得たら、一枚を捨てる。得て捨てる感覚なんです。それを交換してるだけ。麻雀というのは「得て捨てる」ということを繰り返す動作なんです。麻雀ではあがったり振り込んだりとか拾って捨てることもあって、両方あって当然なんだけど、人間の欲や勝ちたいという気持ちだけだと「全部貰おう」、そういう発想になる。
麻雀は1対3の勝負。将棋なんて1対1ですよ。麻雀の場合、誰が敵になるかわからない訳です。つまりね、1対3でやるから負けちゃうんです。だったら敵を味方にすればいい。「お前は俺の仲間だよ」という麻雀をすればいい。そうすると、どこにも敵がいなくなるじゃないですか。だから「人のために打て」と言ってるんです。そういう麻雀、振りこむのも平気でやってあげれば、みんな仲間じゃん。結果、勝っちゃうんですよ。それなのに、みんな自分のことだけを考えてるうちに周りを敵にして1対3の勝負をしてしまうから負けちゃうんです。俺なんか皆仲間になっちゃうから、こんな楽なことはないよ。そこまでの領域に達することはなかなかみんなできないんだよね。

―「心を磨く」ということは「日常を磨く」ということだということを僕は桜井先生から学びました。その試合やステージに立ち、間に合わせようとしてもだめで、それまでの全ての日常の瞬間で自分を磨く、そこで揺れない心ができるということを学びました。こういうことはどこかで学んだことではなく、自然と身についたことなのでしょうか?

そういうことがたまたま好きだったんだ。そういう方が気に入ってるし好きだからやっているだけで、そういう自分が楽しいんだよ。
例えば0時に寝る、朝6時に起きようとして目覚ましをかける。俺、目覚まし時計に負けたことないね(笑)。大体2時間も前に起きちゃうからね(笑)。一応目覚まし時計かけてみるけど、必ず俺が起きてから目覚まし時計が鳴るんだよ。目覚ましに勝負をかけてるわけじゃないし、競争したってしょうがないんだけどそうなんだよね(笑)。 俺、眠るの下手なんだよ。誘眠剤を飲んで寝る時もある。俺の立場になると日々忙しいじゃないですか。次から次へといろんなことが入ってくる。それを済まさなければいけないのに時間がかかるけど、眠気なんかに負けちゃいられない。それが後遺症みたいになって寝られない訳ですよ。寝るのにすごく時間がかかる。
俺にも悪いところ、欠点がたくさんあって、今度本を出す時は俺の悪いところ、ダメなところ、俺の弱いところを書いた本を出そうよって企画してるんだよ。今までの本は俺のかっこいいところ、強いところばかり書いてるんだもん。だから皆誤解して俺って凄い奴だと思われがちだけど、そうじゃないんだよね。ごく普通だからね。ってごく普通でもないな。やっぱり変わってるな(笑)。

"麻雀というのは「身体」で打つものですよ"

―聞いてみたかったのが、桜井先生自身が「こういう自分って嫌だな」と思うことってどういう時なんでしょう?

下手なところってあるよ。いっぱい。ペットボトルが開けられないとか(笑)。開けられないからうちの女房に「開けてくれる?」と頼むとひょいっと開けちゃう。ねじるという動作が苦手だね。それとか眠るのが下手なところとか。

道場生、弟子の前では、俺わざとダメなとことをいっぱい出すんですよ。自分が裸になる。弟子達にすごい、すごいと思われたくないんですよ。「会長もこんなだめなとこあるんだ」、「こんな弱いところあるんだ」って本当の俺を見てもらいたくてしょうがない。わざとそういう自分を出すんだけど、ところどころで弟子達もびっくりするようなとんでもないことを俺やっちゃうんですよ。俺は武道をきちんとやったことはなくて、空手とか柔道とかの習い事も一切やったことない。それでも格闘家のところなんかで、専門でやってる子も相手にしちゃう。そういうことがどうして出来るかというとやっぱり「身体」なんですよ。意識が強いとかじゃ勝てないじゃないですか。気持ちが強くても体力の強いプライドの選手には素人は勝てない。喧嘩はしてたけど、麻雀しか知らないからね。生命というのは戦って自分の命を守らなきゃいけない。その中に男だから喧嘩というのもあったんだろうけれど。その中で勝つということを学んだんですよ。たぶん麻雀打ちじゃなくて、そっちやらせたら俺もNo.1だったんじゃないかな(笑)。
麻雀というのは「知」で打つものかといえばそうではない。「身体」で打つものですよ。「知」とか「脳」とか「神経」とかそういうものは身体の一部。身体という全部があってその中に脳があり、心がある。そういうものだと俺は思うね。

"いかに「自然の体」になるかということが一番大事"

―頭だけが大きくなってもバランスが悪いですしね。

そう。身体そのものがより強く、しっかりしてないと。だから、この歳になっても健康でいられることは本当ありがたい。恵まれてると思うよ。うちの道場生はみんな若いけど、麻雀じゃなくて身体を使うことでは俺の相手にならないからね。麻雀だけ俺が強かったら、道場生達は認めてくれないと思う。こんな年寄りなのに、やせてるのに、どう見たって力がなさそうなのに柔道やってる子達がごろごろ負けちゃう。それはどうしてかというと、俺が自然の中で遊んできたからじゃないかな。自然の中で遊ぶために身体を順応させてきただけのことで、だから未だに自然の中で身体を使うと俺が一番だね。自然体という言葉があるけれど、本当にいかに「自然の体」になるかということが一番大事だと思うよ。自然な体から自然な感覚や本能を身につける。生き物として当たり前のことだよね。人間だけが逆らってる。この地球上に人間だけですよ。どんどん異生物になっていってるのは。植物も魚も自然のままありのまま生きてるわけですよ。彼らは豊かになろうなんて気持ちは一切ない。生命の連続性のために互いが巡り合って生きてる。豊かになろうという発想があるのは人間だけですよ。表面上豊かになっても、100円分豊かになったら、その代わりに1000円分の心の病や狂いが生じてると思うよ。貧困、心の貧しさ、そういうものを今の世の中得てますからね。それよりも失ったものの方が大きいです。皆失うことのために、頑張ってやってる訳ですから。君達の次の世代の人達はもっともっと失ったところから始まるわけですよ。

―僕らの世代でそういう失ったものを取り戻すということは、基本に立ち帰るということでしょうか?

もちろん。人間の基本というものはなくて、自然のあり方が基本かな。海を見たり、雲を見たり、宇宙も自然だろうし、太陽も自然。宇宙からの自然。それから地球から発生する自然。それがもう一度自分の中に入り込んでみないと、自分の中に入って一体化した時に初めてわかると思う。それを自然を外から見て「あー綺麗ね。」なんて言っていてもそういうことではない。それは目で見てるだけだから。やっぱり身体で体感をしていかないと。自然って言ってもいくつかに分けられますからね。夕日を見て、海を見て「綺麗ね」と言ってるだけじゃ、こんな楽な発想はない。逆に台風見て、「すげえなー」、荒波見て「やるなー、海は」ってことでしょう。荒波の中で転がされて岩の方へ打ちつけられてごらんなさいよ。水の凄さがわかりますよ。そういう体験をしないと人間というのは生きてる実感がわかないと思うよ。
「情報」というのは生き物じゃないじゃない。インターネットでたくさんの情報は入るでしょうけど、俺は入れないもんね。余計な情報は要らない。それよりも自然を身体で体験したいと思うね。

"ありのままがいいんですよ、都合が良いことも悪いことも。"

―結局、自然には人間は絶対かなわないですよね。天気、天災をコントロールすることもできない。そういう「ままならない」中に生きるからこそ、素直さとか勇気っていうのが生じてくるような気がします。

ありのままがいいんですよ、都合が良いことも悪いことも。人間が決めていくことじゃなくて必ず全てに意味がある。台風だって人間にとっては被害を受けていると思うけれど、台風が来ることによって、海の水が洗われてる訳ですよ。地上では木々たちが我々に酸素を送ってくれる。その役目を海の中では珊瑚礁がやってくれる。でも台風が来ないと珊瑚礁は死んじゃうんです。台風が来るから珊瑚礁が生きていられる。人間はただ被害にあったと思うけれど、彼ら自然は必ず意味を持ってこういったことを起こしてくれている訳です。意味があるんです。意味が。自然が起こすいろいろな意味に思いを馳せると、人間達がやってること、もちろん俺も含めてだけれど、そのむなしさ、あるいは過ち、そういったことをもの凄く感じるよね。
夏は俺は海に1ヶ月いて潜ったりして過ごすんです。そこから東京に戻ってくると、すぐに大きなパーティーだとかに呼ばれて参加するんだけれど、何千億も稼いでいるような方ばかり集まってるわけですよ。俺はそういうことに何の興味も湧かないよね。だから何なのって思う。それを軽蔑しているわけでは全くなくて、単純に本当に興味がない。それより海の中に潜って生物見てる方が楽しいね。「ほらあそこにひらめがいるよ」とか言ってね。若い子達は何も見えないわけ。「何が見えるんですか?岩しかないですよ」と言う。岩の上にいるタコなんかは岩の色と同じ色、同じような形をして彼らは生きのびてますからね。
海にいる時は命がけですよ。いつ波に飛ばされるかもしれない、溺れるかもしれない、体も冷えてくる、そういういろんなリスクを感じながら生きていくもんです。「リスクはダメよ」と教えられて生きるなんて、生命としてあり得ないじゃないですか。どこだって完全なる安全なんて無いわけですよ。海の生物は皆、いろんな危険から自分で身を守ってる。彼らは強いわけではなくて、本能的に自分の生命を保持するためにやってるのであって、それを知恵として見ちゃいけないよね。やっぱり本能って素晴らしいと思うね。そういった本能的な部分は人間の中にはなくなってきた。さっき言った「失ったもの」だよね。

―人間が生物として本来持っていたものですよね。

もちろん持ってた。でも人間は弱かったんじゃないですか。だからこそこんなことになった。

―強かったからではなくて?

弱かったからですよ。今人間飛んだり走ったりできてるけど、昔、人間の始まりは飛んだり走ったりできなくて歩くのが精一杯だったでしょ。(次週、最終回、後編に続く!)

Page Top

Trackback : 0

このインタビューへのトラックバック先URL
http://www.personup.net/mt/mt-tb.cgi/33