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桜井章一さん(後編)

最終話となる後編のインタビューは、雀鬼会が麻雀の対外試合をしないと決断した理由、数々の修羅場と思われることも天性の「冒険好き」でその場を楽しんできたこと、「ガキ大将」的生き方、麻雀だけにとらわれず麻雀以外のことで様々な方と共鳴しあう訳、桜井さんにとっての「道場」など様々なことを伺った。(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年9月20日)

"俺は「ガキ大将」のレベルでいい"

―以前、プロ麻雀士がひしめく全国選手権大会で、アマチュアである雀鬼会の選手がぶっちぎりの強さを証明し、連覇したことを聞きました。その上で、以降は対外試合をしないことを決めたそうですね。そういう意識のレベルがすごく高いと思いました。

いや、多数派にはなりたくないんだよ。少数派でいたい。俺って小さい頃からガキ大将でさ。 そういえば、先日50年ぶりに同窓会があってね。俺はクラスだけで番長だと思ってたら、同級生に「章ちゃんはさ、学年全部仕切ってたよ」って言われてね。そしたら、他の奴が「いや、章ちゃん4年生の時、学校全部占めてたよ」なんて言う(笑)。俺は「ガキ大将」のレベルでいいんだよ。「ガキ大将」というのは全部に目を通さなきゃいけない。俺も道場生全員に関心があるわけだよ。関心があるというのは言い換えれば愛じゃないですか。愛が先にあるわけじゃない。無関心は愛の反対でしょ。憎悪では決してない。関心が持てる範囲というと、100人とか数が限られると思うんですよ。これが千人、1万人といったら、目を通せない。雀鬼会を広げようというより、目を通せる範囲でやりたいと思ってるんです。
理想の生活を言えば、野生に戻るような感じで男も女もなく、どこかの島で毎日魚突きをして暮らせればベストだと思うけどね。それがこういう社会じゃできないから、夏の1ヶ月は海に行って似たような生活をさせてもらってる訳だよ。未だに一ヶ月間休みを取るなんて、大人になったらできないよね。許してもらえないでしょ。ガキ大将じゃなきゃできないよ。自分がガキ大将だから自分でそういうこと決められちゃう。夏休みだけはいつもとってるよ。都会のこんな暑苦しい所、いたくないもん。

"冒険が好きだからたまたま修羅場の舞台に行っちゃったような感じ"

先頭を静かに泳ぐ俺の目に一匹の大きな魚が入ってきた。それを追いながら、一気に潜って突こうとした瞬間、俺の視線に黒い影が写った。かなりの大物だと認識した俺は、的を変えて瞬時にその黒い魚に向かってモリを突く。
見事、一発でモリが刺さる。
サメである。
俺の大好きなサメである。大好きではあるが、モリで刺してしまったうえは、闘わねばこっちがやられる。

我れ、悪党なり―20年間無敗の雀鬼、日々を語る(桜井章一 著)

―「ガキ大将」として生きてこられた中では、相当な修羅場があったんじゃないかと察します。本にもいろいろ書かれていますね。

俺は冒険好きだからね。遊びは全部冒険だったし、冒険じゃない遊びはつまらなかったね。小さい頃から鉄橋にぶらさがるとか、「俺、これ失敗したら死ぬだろうな」というような遊びばかりいっぱいやってきた。俺たちの遊びってそういうことだったの。もちろんトンボを取るとかそういう遊びもあるけど、快感を感じるようなのは危険なことばっかりだったね。だから修羅場と言うより俺にとってはたぶん冒険で、冒険が好きだからたまたま修羅場の舞台に行っちゃったような感じだと思う。そうやって自分で冒険しに行ってるから、怖いと言うより楽しいんだよ。
この間、道場生の若い奴らを連れて海に行ったんだけど、鮫が50匹近く入っている露天風呂に入ったわけ。「こんな気持ちいいもんねーだろー。お前ら、鮫の露天風呂入ってるの俺たちだけだぞーっ」なんて言いながら入ってたよ。普通は逃げると現地の人も言っていたし、道場生には「こんなお風呂が楽しいの会長だけですよ。」って言われたな(笑)。もちろん鮫は怖いけど、楽しいほうが勝っているんですよ。鮫が俺より怖くて強いということをもちろん知ってるけど、それよりも「楽しい」って気持ちがちょっと優先してるわけ。道場生には「会長と一緒じゃなきゃ僕ら絶対入りません」って言われたよ(笑)。

"麻雀から得たものがいかに他のものに通じるかが勝負なんです"

桜井さんを私が大好きなのは、人間の幅が無限に広く深いからです。
桜井さんのこの人間の幅というものは、たぶん桜井さんの生き方から出てくるものだと思います。まず、一切の権威というものを認めないし、決しておもねたりもしない。だから、生き方が常に潔い。そういう桜井さんの姿に、私はいつも共感します。
("桜井章一さんのこと" 鍵山秀三郎氏の記述より引用)

人生を掃除する人しない人 達人二人、目からウロコの超実践哲学(桜井章一・鍵山秀三郎 共著)

―桜井先生は、格闘家のヒクソン・グレイシーさんや、古武術の甲野善紀先生、イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんなど、全く違う分野の達人の方々と共鳴し、尊敬し合う関係にいますね。そういうことはとても希有なことですよね。

俺は「業界人間」ではだめだと思うんですよ。自分を否定するというか、業界を否定しないと良くならないじゃない?「この業界良いよ」って言ってる奴は信用できないんですよ。「この業界だめだから良くしてやろう」、そういう発想がないとだめだと思う。業界の弱点を言うとその業界が広がらないと思うから皆さん隠して良いことばかり言うのだろうけれど。それぞれの業界があるけど、「ここはだめなんだ」という人の方が信用できるね。 鍵山先生がなぜ信用できるかというと、鍵山先生は企業家で、あの方は「企業家で立派な人など一人もいない」と言っているんです。だから「この人は凄い」と思う訳ですよ。
それから、麻雀というものにとらわれていてはだめなんです。麻雀以外のものに自分が通じていかないといけない。自分から麻雀を取ったら何も残らない、ではしょうがない。麻雀から得たものがいかに他のものに通じるかが勝負なんですよ。俺は他の皆さん、麻雀をやらない人の方が通じるんですよ。たくさんの業界がある中で、麻雀の業界のレベルがまだまだ低いんでしょうね。この業界だけで登ってもたいしたことはないんです。そこにとらわれていたら誰も相手にしてくれませんよ。麻雀、麻雀と言ってるだけだったら、相手にされないでしょう。君も最初に言ってたでしょ。「麻雀知らないから勧められた本を断ろうとした」って。でも読んでみれば麻雀以外のことがたくさん書いてある。道場自体もそうですよ。麻雀のことなんてほとんど教えない。「お前、その手の打ち方があまり良くないよ。こういう打ち方がいいよ。」そういったこととか、体の動かし方を教えたり。麻雀の話なんて全然出ませんよ。だからといって麻雀が弱いかと言ったら、うちの道場は日本で一番強いと思いますよ。プロでやってる人なんか目じゃない。

"俺みたいな「乞うて生きてる」人間が「かっこいい」と言われるのは恵まれてる。"

―道場生のみなさんだけでなく、僕と同じように桜井先生から「大切なこと」を学んだり、温かい気持ちをもらってる人がたくさんいると思います。

と思うでしょうけど、俺があげてるより俺の方がみんなにもらってますよ。俺があげてもあげても足りない。いつももらって、もらいっぱなし。俺って本当に「乞食」みたいなもんだよ。こんなに「乞うて生きてる」人いないですよ。物ですら全部もらってるんだから。2年間で買ったものなんてスニーカー1個だからね。これほどの経済社会、市場社会にこんなにお役に立たない人はいないよ(笑)。物でもこれほど貰っているのが実証されているということは、もらっているのは物だけじゃないんだよ。道場生には気持ちをたくさん貰ってるし。行動も貰ってるし。可愛さもらってるし。孫もそう。貰いっぱなし。子供達によく言うんだけど、「お前らの可愛い時期に俺はいっぱい貰ったから、一生返せないもの貰ったから、お前ら、大人になって頑張って稼いでから俺に何か返そうなんて思うんじゃねーぞ。このやろう」ってね。
皆様に与えてるなんて思ったら間違い。俺が一番もらってるんだから。愛情もいっぱいもらってるしね。道場生は皆、俺のこと好きだと言ってくれてるし、俺もこいつらが可愛くてしょうがないんだよ。俺は道場を仕事場なんて思ったことはなくて、可愛い奴らが来てくれる場所。それで楽しいから、少しでも長く道場があってほしいと願うだけだね。俺も体力が続けばね。俺の体力・気力がなくなったら楽しいことしてあげられなくなるよね。俺みたいな「乞うて生きてる」人間が「かっこいい」と言われるのは恵まれてる。もちろん自分から「下さい」とか「恵んでくれよ」なんて言わないよ。「たかる」って感覚が一番嫌なんだよね。愛にたかる、思いやりにたかる、金にたかる、ハエと同じだよ。たかるのは嫌だけど、おのずと皆いろんなものをくれるからね。俺、「鬼」なのにくれるんだよ(笑)。この歳になってもみんなにもらってばかりだよ。そういう意味で何不自由なく日々を過ごしてるということだよね。「それは人徳ですね」なんて言わないでよ。そんなんじゃないから。

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