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ソニア パークさん(前編)

フリーのスタイリストとして、広告などのスタイリングで活躍する他、「GINZA」、「InRed」など国内の人気ファッション誌、「ID」など海外の雑誌でも活躍し、その独自の世界観を持つスタイリングで読者や広告界にも人気の高いソニア パークさん。
東京を愛し、好きなことを素直にやってきただけと語るソニアさん。語られる言葉の一つ一つに、自分の想いに素直でい続けているソニアさんのスタイルが伺い知れるインタビューとなった。インタビュー前編では、ファッションの世界に関心を持つようになったいきさつ、東京に単身で渡ることに至った決断、コム デ ギャルソンとの衝撃的な出会い、ソニアさんにとっての日本の原風景など様々なことを伺った。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2007年11月28日)

人と違うということに全く違和感なく育った幼少時代

—僕が初めてソニアさんを知ったのが、普段からとてもおしゃれな友人との話からでした。その友人がキャスケットのかわいい帽子をかぶってまして、「この帽子はソニアさんの本を読んで買った」と教えてくれたんです。そこで初めてソニア・パークさんのことを知りました。
先日、「ソニアのショッピングマニュアル1」を買おうとしたんですが、出版社でも在庫がなく、書店でも売り切れ。インターネットオークションでも5000円近い額で販売されていたんですよ。
この本はとても上質な空気感を持っていますよね。先ほどお話した友人は、この本の中で紹介されている食器を見つけるためにパリに行ったそうなんです。日本ではなかなか買えないものが多いということで、パリでいくつも買ってきたという話を聞きました。
この本にも書いていらっしゃるんですが、まず始めに聞きたいのが子供時代のことです。とても興味深いと思いました。もともと、服などに幼少の頃から気持ちが向いていたんですか?

不思議ですけれど、おそらく母親の影響だと思うんです。彼女はとてもエキセントリックで、若い頃はすごくおしゃれというイメージは持っていなかったんですが、幼いながらも自分の母親はちょっと周りにいる人と違うなと思っていたんです。
私が生まれ育ったのはソウルの中心部でした。だからよくデパートやおしゃれな場所にも連れて行ってもらっていたんです。その時にも、母親はやっぱり他の人とはなんだか違うんですよね。 それと何を食べて育ったか記憶にないんですよ。母親のイメージは家にいてご飯を作ったりというようなものではなくて、外に出かけることが多いお母さん。常におしゃれをしていましたし、とても洋服の好きな人でした。
昔だと、洋服は既製品もありますけど、作ってもらったりすることもありますよね?それで私がそういったお店に一緒に行くと、母親が「ソニア、どっちの生地がいいと思う?」と聞いてくることがあって、「私はこっちがいい」などと言って一緒に考えたりする機会もありました。それからこだわりが強くて、私の着る服にもパステル系や女の子っぽいものは絶対ダメなどと注文をつけるんです。そういう環境でしたし、私自身も人と違うということに全く違和感がなく育ちました。子供の頃から、周りの子とは違ってボーイッシュな格好をしたり、お兄ちゃんのお古を着たりしてましたし。そうした母の影響は、少なからず残っているんじゃないかと思うんです。変わったセンスを持った母でした。
父もその時代の人としては古いものへの興味が強くて、当時はソウルも米軍がたくさんあった時代だったので、家のソファも米国系の家具屋さんから買っていたりしてましたね。その時代、韓国の人の中ではモダンな2人だったんじゃないかなと思いますよ。小さい頃に見せてもらったものや環境は自分に大きく影響してるのかなと思います。

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実は私の母は大の服好きです。ファッションへのこだわりもとても強い人。それは子供である私の服にも同様で、子供が好きなピンク色は「アジア人には似合わない」と着せてもらえなかったし、フリルのついたラブリーな服も着た記憶がありません。
(中略)
でも現在の私自身を考えてみると、その原点はこういった母のセンスや服選びにあり、影響を受けて育ったのかなと、今では感謝しています。(FIRST STEP INTO FASHION)

ソニアのショッピングマニュアル
(マガジンハウス、ソニア パーク 著)

"誰を見てもつい自分なりにスタイリングを考えてしまうんです"

—子供の頃ってそういったことに結構無自覚ですよね?それが当たり前で。そうしたことは育っていくにつれて、センスを自覚してきたんでしょうか?

センスという感覚はあまりないんですよ。ただ、なぜか子供の頃から周りの人を見ながら、「この人はあの服じゃなくてこういう服を着て、髪型をこうすればいいのに・・・」という風に会う人会う人を観察して、自分の中でスタイリングしてしまうんですよ。誰を見てもつい自分なりにスタイリングを考えてしまうんです。ですから、今の仕事は天職だなと思います。どこかで洋服が無意識に好きだったからなのかもしれませんね。

—今の話で興味深いのは洋服が先行してないということです。まず人間がいて、この人にこういうものが合うんじゃないかと考える。ともすればデザイナーの方で「こういう洋服が作りたい」という思いが先行して作られて、着る人と分離してしまうこともあってもおかしくないと思うんですよ。そういう感覚ではないんですね。

そうですね。もちろん洋服が好きでしたし、美しいものや良くできたものを見ると興奮したりするんですけど、とにかくよく人を観察してました。「この髪型じゃない方がいいのにな」とか(笑)、考えてしまう。自分勝手ですよね。その人の個性なのにね。そういうことを小さい時からよく想像していたんです。

—子供の時からのお母さんの影響もあるんでしょうけど、ソニアさん自身が何かを選ぶ機会が多かったんですか?

選ばせてくれた時もありましたけどね。本にも書きましたけど、すごく記憶に残っているのがピアノの発表会。周りはピンクやパステルカラーのふわふわしたドレスなのに私は紺のベルベットのワンピース。当時流行のコサージュも母からすればNGで、生花がいいのよと言って、赤いバラの花をつけてくれました。どうして私だけこんなに地味なの・・・と思って、その当時はとてもショックでしたよ。けれど、そういう強い美意識を持った母だと思うんです。例えば「女らしいということはこういうことじゃない」とか、「美しいということこういうものだ」とか彼女の中ではっきりしていたのだと思います。小さい頃にはそれを押し付けられたように感じたのが、もしかしたら知らず知らずに自分のものに変わっていったのかもしれませんね。
反発して「どうしてもパフスリーブの服が欲しい」とか言ったこともあったんですよ。そしたら、「ピンクじゃなくて、この色にして」といってグリーンの服を買ってきたこともありました。でも、不思議なんですけどすぐ飽きちゃったんです。やっぱり違うと思ったんでしょうね。
もしかしたら家系かもしれないですね。母は着なくなった服をリメイクなどもしてましたし、叔母も服作りが好きでおしゃれな人で、いろんなものを作ってもらったりしてました。

"お嫁に行くか、医者になるか、弁護士になるか(笑)"

—その後ハワイで生活されたんですよね?

そうですね。その時はボーイッシュな格好するのが好きでした。高校生位の時からポロシャツ1つにしても、あまりレディースっぽいものは好きじゃなくて、誰かに教えてもらった訳じゃないんですけど、ボーイズコーナーで買い物をしていた記憶がありますね。
当時、本当に洋服やファッション雑誌を見てると興奮してました。でも、デザイナーになりたいとか仕事にしたいという気持ちはあまりなかったんです。というのも親が堅かったんです。私がお嫁さんになりたくないと言うと、親は、「じゃあ弁護士か医者になれ」と言う。それ以外のキャリアのチョイスは無しでした(笑)。お嫁に行くか、医者になるか、弁護士になるか(笑)。ですから、当時私は一人で生きていきたかったので、弁護士は興味がなかったし、じゃあ医者かなあ?なんて思っていたんです。洗脳されていた部分があったんですよ。もし違う環境であれば、早い時期からアートや洋服の道に向かったかもしれないですね。

—でもその後やっぱり好きな洋服に関わるような方向に寄って行った訳ですよね。それは東京に来た頃ですか?

その前、大学に行ってる時から考えていましたね。アメリカとかだと医大に入る前の準備学校のようなものがあるんです。プリメディスンというハワイの大学のコースを取っていたんですけど、授業を受けていても全くどういうことかわからなかったんですよ(笑)。これはちょっとだめだと思っていたところに、アートのクラスを取ると楽しいんですよね。先生にも褒めて頂いたりもしました。それでもアートの方面に行こうという気持ちにはならなくて、とりあえず学校を休んでみたんです。それからL.A.に旅行に行ったりしながら考えてみて、医者の道はやっぱり向いてないと思うに至りました。ただ、自分はデザイナーになれると思っていなかったし、そういう職業は特殊な人がなるものだと思っていました。せめてファッションビジネスや出版社のお仕事、雑誌が好きだったので編集者のような仕事をやってみようかなと漠然と考えるようになりました。デパートも好きだったのでバイヤーにも興味がありました。そういったファッションに関係する仕事だったらいいのかなと思っていたところで、東京に来たんです。

今までの美意識が覆されたような衝撃を受けたコム・デ・ギャルソン

その頃眺めていた日本の雑誌が紹介する“DCブランド全盛期の東京”に憧れを抱いていました。そして同時に、日本だけでなく、世界でも注目を浴びていたコム デ ギャルソンというブランドに、ものすごい衝撃を受け、「私は東京へ行かなきゃ行けない!」と日本へと旅立ったのが23歳のときです。私のスタイリングは“男に媚びないスタイル”とよくいわれるのですが
(中略)
周りを気にせず、流行よりも自分らしさをつねに追及する。そんなスタイルが“媚びない”と、表現されるようになったのかもしれません。(FIRST STEP INTO FASHION)

ソニアのショッピングマニュアル
(マガジンハウス、ソニア パーク 著)

—東京に来る、大きなきっかけはあったんですか?いろんな都市がある中で東京を選んだのはどうしてですか?

ハワイにいた頃、父親がよく日本の本屋さんに連れて行ってくれたんです。そこで父親が本を読んでる間、私が雑誌を見ながら「わー、かわいい!」と興奮してました。ハワイですから、ヨーロッパの本もあんまり入らず、日本の本や雑誌が多かったんですよ。日本の雑誌はアメリカのVOGUEやティーン紙より、すごくおしゃれじゃないですか?それでとても興奮して、日本のファッションが大好きになっちゃったんです。その時、たまたま日本人の友達も何人か出来て、そのうちに東京にどんどん興味を持っていきました。
そして20歳になる前に旅行で訪れたサンフランシスコで、コム・デ・ギャルソンのお店に初めて入ったんです。コム・デ・ギャルソンとの出会いはとても衝撃的でしたね。そこはまさにミニマリズムな空間。今でも非常に覚えてるんですけど、グレーのコンクリートで囲まれた店内に、ソックスが三足並んでいました。興奮しましたね。今までの自分の美意識が覆されたような衝撃を受けました。その時から絶対に東京に行きたいと思うようになったんです。

"納得してない親の元を離れ、
トランク一つと全財産を持って東京に来た"

—東京に行くというのはわりと大きな決断でしたか?それとも気軽に?

最初は行ってみたい、旅行してみたいということだけで、東京に住みたいというのはまだありませんでした。まず1ヶ月の冬休みに東京と香港に遊びに行こうと思ったんです。その前にある友達の誕生日パーティーで、ある日本人の男性に出会って仲良くなったんですよ。それで次第にお互い恋に落ちちゃったんでしょうね(笑)。日本に旅行した後にハワイに帰ってきて「恋に落ちてしまった」と周囲に伝え、結局大学を休学することにしたんです。父や母も怒りましたね。「やっとぶらぶらしていたのが落ち着いて、大学に行くと思ったら日本に行くとはどういうことだ」と(笑)。「2年間だけ。2年間で言葉を勉強して日本語と英語と韓国語の3カ国語話せるとなったら、悪いことないでしょ。たった2年間だけ行かせて下さい」と言って納得してない親の元を離れ、トランク一つと全財産を持って東京に来たんです。その時の彼は結婚前提で付き合いますと親に言っていましたけど、まだ2人とも23歳でしたから親は全く納得してませんでした。それで東京に来てから、その人とは見事に別れてしまいましたけど(笑)。でもそれから今年でちょうど20年経ちましたよ。思えば、一番長く過ごしたのが日本になりますね。12歳の時にハワイに行って23歳の時に日本に来ましたから。

—87年に東京に来て、その頃はバブルがはじける直前でDCブランドブームでしたよね。ソニアさんにとっての日本の原風景というのはやはり青山ですか?

いえ、最初は渋谷でしたね。その時は皆遊んでたのは六本木、買い物に行くとしたら渋谷。
東京に来る前は私、東京はコム・デ・ギャルソンの隣に京都のような古い建物があるんだろうと、おかしな想像をしてたんですよ(笑)。すごい所だろうなと思っていたんです。それで成田からずっと東京に入ってくるにつれ、「いつそうなるんだろう?」と思っていました(笑)。最初に代官山に来たものの、「これが東京なのかな?もっとよくなるはず・・・」なんて思っていましたから(笑)。京都のような街並みにモダンな建物があって・・・なんて想像していた訳ですから、日本の伝統的な建物はどこ?と思ってました(笑)。特に20年前なんてかっこいいビルがある訳でもなく、中途半端な感じでした。奥に入れば、素敵な場所もありましたけどね。世の中はバブルで面白いものがいっぱいできてる時期でしたし。ただ、面白いものはぽつぽつとあるだけで、全体が整備されている感じはないですよね。自分の思い出としては、最初の日本の原風景と言えば、代官山や渋谷の街でしょうね。
12月のクリスマス前に日本に来たんですけれど、ちょうど今くらいの季節ですね。この時期になると初めて東京に来た時期を思い出してセンチメンタルになるんですよ。(次週、中編に続く)

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