ソニア・パーク

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ソニア パークさん(中編)

前編に続く中編のインタビューは、東京に来て出版社に入ったばかりの頃のお話、スタイリストの仕事を始めるきっかけ、東京でスタイリストして活躍するに至るまでの思い、雑誌「QUTiE」での活躍時のエピソード、良いものを感じ取るためのソニアさんなりの基準など、様々なことを伺った。
(聞き手:近浦啓 / 写真:近浦啓/ 収録:2007年11月28日)

"雑誌を見るのはそういう夢みたいな時間だった"

—東京に来た後、出版社に入社されて働く訳ですよね。出版社を選んだのは先ほどおっしゃっていたように、やはりファッションに近いとか好きな雑誌に近いとか、そういう理由で選ばれたんですか?

そうですね。雑誌は本当に好きだったんです。ハワイにいた頃、いつも買うと決めている雑誌は絶対立ち読みしなかったんです。「流行通信」が好きだったんですが、その時の自分のお小遣いではなかなか高くて買えないんですよ。例えば日本で500円位する雑誌が、ハワイでは2000円近くしていました。当時、毎月買っていた雑誌は「セブンティーン」という雑誌。流行通信は高かったので、本屋さんに取り置きしてもらってアルバイトをして定期購読してました。お父さんが本屋に立ち寄って帰ると「君の買いたい雑誌が入ってたよ。」なんて言うんです。「何で買ってきてくれないの!ケチ!」なんて、よく父親に言ったものでした。父親は雑誌にそれほどお金を使うのがとてももったいないと思っていたんでしょうね。
雑誌を見るのも買って来たらすぐ見るんじゃないんです。部屋を綺麗に片付けて、お風呂に入って、雑誌を見るための環境を作って「これから見るぞ!」という意気込みで見ていました。映画を見るのと一緒で、興奮したり、かわいいなあと思ったり。雑誌を見るのはそういう夢みたいな時間だったんです。そうやって自分にちょっとした夢を与えてくれたものなので、自分もそういうところに携わっていけたらいいなあ・・と漠然と思っていたんです。
日本に来た時はバブルの時だったので、いろんな雑誌がありました。私は英語も話せましたし、日本語も片言ながら話せたので、最初は英語を教えるだけですが仕事がいっぱいありました。後にギャップ・ジャパンという出版社がちょうど人出不足のタイミングに雇ってもらえたんです。

—その時からスタイリストも兼ねてやっていたんですか?

いえ、そこでは最初は海外事業部のような所に入ったんです。海外からの記事の英文をチェックしたり、海外へ行く時に必要な文書をタイプしたり。でも、これをやるために私はここにいるんじゃないという思いがあったんです。それでそれほど大きくない出版社だったので、社長に直談判しに行ったんですよ。「私はファッションに興味があって、撮影や洋服を選ぶような、そういう編集的なことをやりたい」と。そうしたら社長が「君は着てる洋服も面白いし、やってみたらどうだ?」って言ってくれたんです(笑)。とてもラッキーでした。
そこでは撮影部のような部署があって、様々な撮影のお手伝いをするプランナーの人達がいて、タイアップ企画を取ってきたりするんです。さらにタイアップをやる時に手伝うようなセクションがあって、そこに配属されたんです。当時バブルでしたから、すごくたくさんのタイアップが入ってきてました。私も全くわからないながらも、何とかやっていて、その時期にいろんなカメラマンの方と知り合えました。

"絶対に「プロ」にならなければと思った"

—それが、スタイリストの初めですか?

そうですね。幸いにも、やると評判が良かったんです。プランナーの方も「ソニアにやらせたい。」と言ってくださったりして。費用の面での理由もあったんでしょうけれど。それでどんどんやっていたら、パリで撮影をすることにもなりました。パリでやるということで、営業の人はたくさん仕事を取ってくるんです。その撮影の時は洋服60着も持たされて、現金も驚くほどの金額を預けられました。若い時って怖い者無しですね。本当にいきあたりばったりのような感じですよ。パリにいる日本人の友人に声をかけて手伝ってもらって。大金を持って二人して「どうする?!」という状態(笑)。とりあえずモデルクラブに電話してみたり、知り合いのカメラマンに撮影を頼んだり。
こういう感じですから、誰かに教えてもらったというよりも、自分でなんとかやったような形でしょうか。当時は「スタイリストのような仕事をやりたい!やらせて下さい。」とずっと言っていたんです。その時は、自分がやったら上手くできる自信があったんですよ。本当に怖いもの知らずですよね。素人だったので周りにすごく迷惑をかけたと思いますよ。
フィルムの種類も名前も全くの知識不足で、撮影現場でとんちんかんなことを聞いてしまったりしたこともありました。それで勉強しようと思ったんです。それからは、カメラマンの隣でアシスタントの方を捕まえては、様々なことを訊いてました。わからないということがすごく嫌だったので、打ち合わせの時でも、こういうフィルムを使ったらどういう写真が撮れるか、ネガ現像したらどうなるか、などと訊いてました。恥ずかしい思いをしたので、これは絶対に「プロ」にならなければと思ったんです。不思議なのが訊くと皆さん教えることが好きなんですよ。カメラマンの方は訊いたこと以外にも、たくさんのことを教えてくれました。2年間そういったことをしながら勉強しました。その後、独立してからも写真やフィルムに関しては根掘り葉掘り訊いてます。

"素直に東京が好きだった"

—その当時から独立されて大活躍されて、いろんなクリエィティブディレクターの方などからソニアさんを指名されるようになりましたね。さらに、今はご自分でお洋服も作られて、お店も持たれて。そういうビジョンはいつ頃から持たれていたんですか?

いえ、全くありませんでしたよ。たまたまです。周りに「ソニアはよく考えてるよね。」なんて言われることもありますけど、私は素直にその時やりたいことをやってきているだけなんです。あるスタイリストの先輩の方が以前「運も才能だ。3割才能で7割運だ。」なんて言ってましたけど(笑)、それもあながち間違ってないなと思いますよ。
東京に来た頃、私が東京が好きだから東京に来たということを、周りには本当に信じてもらえなかったんです。「ヨーロッパやアメリカであなたはやっていけないから東京に来てるんでしょ?」そんな風に思われていたんです。ファッションといえばニューヨークとパリという感覚が当たり前でしたから。でも私にとっては最初に衝撃を受けたのがコム・デ・ギャルソンであり、日本であり、東京という街だったので、素直に東京が好きだったんです。仕事をしていても、周りではパリやロンドン、ニューヨークに行きたいと言って海外に出て行った人があまりにも多かった時代でした。海外のそういう所で仕事をしないと二流のような、いつまでもファッションごっこをやってるんじゃないかという風潮が90年代はずっとあったんですよ。

"状況はこんなにも変わるもの"

当時私もたまたまニューヨークの人達と交流があって、何かのきっかけでその人達に自分の作品ブックを見せたこともありましたし、国籍もアメリカなのでニューヨークには簡単に行けたんです。でも東京での仕事も忙しくなってきていて、東京でやってることがとても楽しくなっていたんです。ニューヨークの友人も雑誌の「CUTiE」での私の仕事を見て、「ソニアのやっている仕事面白いよね。」なんて言ってくれたこともあって、自分でも「私のやっていること面白いんだな」とようやく思えた頃でした。
大きな波に乗れたのも本当にたまたまで、「CUTiE」を一番最初にやって雑誌も大ブレイクしましたけど、日本人モデルを使った理由もお金がなかったということもあるんです。雑誌社がこだわって日本人でなければと決めたのでもなく、費用の面の理由だったようなんです。そこで優秀な編集の方が発想を転換して、「じゃあ、これは東京のストリートマガジンにして、日本の女の子をモデルに使ってやりましょう。」ということになって、ストリートマガジン的なあの頃の「CUTiE」が生まれたようなんです。その時に一緒に仕事していた、カメラマンのホンマタカシさんやhiromixさんとか、いまや海外の写真界でとても活躍されて注目されている人とその時、普通に一緒に仕事が出来たことはとても良い経験だったと思います。
ただ、その当時は周りのファッション関連の人からすごくバカにされました。「ソニア、いつファッションに戻ってくるの?」ってある編集部の人に言われもしましたし。当時は本当にそんな評価でした。服を借りるのも大変で、「あんな子供の遊びみたいな雑誌に貸せない。」なんて言われたこともありました。状況がいつどうして変わったのかわからないんですけれど、こんなにも変わるものなんだなと思いました。

自分では、こういう風にしていこうというビジョンもあまりなかったんです。お店もそうですし、本もそう。「ソニアのショッピングマニュアルⅠ」を出した時もこんなに反響があるとはこれっぽっちも思ってなかったんです。ただ、私自身も好きなものに関する知識を忘れないように覚えておきたいなと思ったんです。「女の子は薀蓄が好きじゃないから、こんなの出しても売れない」という意見もありました。でも私は裏や背景を知れば絶対に面白いからと思っていたんです。そのものに関する背景やさまざまなことを私自身も勉強したいという気持ちもありましたし。「他のものと違うな。良いな。」と思ったものは、じゃあどうして良いのかと後から調べてみる。紹介しているものは以前から好きなものばかりですけれど、本を書くにあたって初めて知った背景もありました。なるほど!と自分自身すごく勉強になりました。

作り手の思いやブランドの背景を読むことで、みなさんに本物を見極める“眼”を持って欲しいとも思っています。私は作り手の思いや手作業による味わいが感じられるものに出会うと“応援する”気持ちもあり、多少お値段が張ってもパトロンになったつもりで買っています。消費者側にもそんな責任感が必要だと思いますし、とくにスタイリストである私は、きちんと作られたものをサポートし、人に伝えることも仕事ですから。(p.231)

ソニアのショッピングマニュアル I
(マガジンハウス、ソニア パーク 著)

—ソニアさんは逆なんですね。こういう背景があるからこれは良いものだというのではないんですね。

背景があって良いものももちろんあって、たまにそういう出会いもありますよ。でもだから良いという訳でもないですよね。とても細かな仕事で良くできてるからといって、良いものとも限らないと思います。逆に背景だけが素晴らしくても良くないでしょうし。

"私が基準として見ているのは「作り手の魂」"

—ソニアさんがものを選ぶ時、ピンと来る共通項ってありますか?

どうなんでしょう。不思議ですけれど、いろんなものを見てきているからこそわかる共通点は何かしらあるんでしょうね。
あるアンティークを扱ってる人があるグラスのショップに行った時に、たくさんのグラスの中から良いものやその年代などがすぐにわかってらっしゃったので、「どうしてわかるの?」と聞いたんです。すると、「うん、量を見てるから」と答えられた。私も同じかもしれません。ずっと服が好きで10代からたくさん見てきてますし。
それと、アンティークが大好きで10代からいろいろ集めている知人がいて、偽物を買ったり失敗したことも何度かあるらしいんですが、偽物は家に置いておくと時間が経つとわかるそうなんです。「魂がないものは、絶対わかる。真似したものは違うんだよ」と言うんです。なるほど、と思いました。物でもそうだと思うんです。何かを見た時にその作った人の思い入れなどがなければ伝わってこないと思います。
写真も本当にそうですよね。ある時、カメラマンの人に「これは最低な写真だよ。」と言われて見せてもらったことがあって、どうして「最低だ」とわかるんだろう?私にはわからないなと思っていたんです。でもそれからもずっといろんな写真を見ていて、ある日、あるカメラマンのポートフォリオを見た時に、「これは、最悪な写真だな」とわかったんです。旅先で彼が撮ったあるポートレートなんですが、"何も"映ってないんです。彼はきっとそういう珍しい場所に行ったらインパクトのあるものが撮れるだろうと思ったんでしょうね。撮ってるその瞬間に美しいと思ってる訳でもなく、かわいいと思ってる訳でもなく、何とも思ってなくてただ単に珍しいと思ったから撮った、そういう写真でした。こういう写真こそ良くない写真だということがわかったんです。写真って何も感じずに撮ると、"何も"映らないんです。
洋服も全く一緒。よくこういう仕事をやっていると、「アドバイス下さい。何が売れるんですか?」と聞かれることが多いんですが、「本当にわかりません。」と答えています。私は売れるからとか、そういうことで物づくりをしたことはないんです。好き嫌いを聞かれるんだったらいくらでもお答えできますけど、「これ売れますか?」と聞かれても私にはわかりません。自分が大好きなものでも売れない物もありますから。それが正しい訳でも何でもないと思います。もの作りをしてる人が「どうしたいのか」ということが、ものに反映されていると思うんですよ。「売りたい!」という気持ちを凄く強く持って、売りたい、売りたいという一心で服を作れば売れる服が作れるかもしれませんし。
私が基準として見ているのは、大げさですけど作り手の魂というかその気持ち。それは服一つにしても靴一つにしてもそう。それは絶対にそのものを見ているとわかるんです。(次週、後編に続く)

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