SHIHOさん(前編)
数々のCM出演や女性誌の表紙を飾り、若い女性のファッションリーダーとして今や不動の地位を獲得、生き方そのものにおいても常に注目を浴び、憧れの的となっているSHIHOさん。
様々なことにアンテナをはり、心も体も美しく磨いていくことを楽しそうに語るその様子に、女性として美しく歳を重ねていくSHIHOさんの未来像を想像させるインタビューとなった。
インタビュー前編では、子供の頃のお話、モデルになるきっかけやモデルを始めたばかりの頃の楽しさ、SHIHOさんの現在の領域について、またその領域に至るまでの葛藤や成長過程のお話、日々の生活の中でSHIHOさんが意識していることなど様々なことを伺った。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2007年12月12日)
"見えない未来が開けて、この先にすごく可能性があるような気がして、ワクワクしていた"
—僕が持っていたモデルのイメージというのは、"消費すること"を促すことができる人、広い意味で言うと"とてもハッピーなものだけを伝えられる人"がモデルだというイメージがあったんです。ですが、数年前にSHIHOさんのある著書を読んだ時に、「この方は "しっかり生きること"を促せる人なんだな」という印象を受けました。
まず最初に聞かせて頂きたいのが、SHIHOさんの子供の頃のお話です。
はい、内気な子でした(笑)。小さい時に皆で遊ぶ時もお父さんの後ろに隠れて見てみているような、そんな女の子でした。小学校高学年位から友達に恵まれて、気が合って自分の心を開くことができるような友達に出会えたことで、明るく前向きな子供になっていったんだと思います。
—モデルというのはわりと特殊な仕事だと思うんですけれど、モデルを目指そうという気持ちは幼少の頃からあったんですか?
全然なかったんです。ファッションに興味も無ければブランドもファッション業界のこともよく知らない子でしたから。高校一年生の時に大学に行くかどうか、進路の話になった時に、母から「大学に行く気がなければモデルになったら?」と言われたんです。私自身大学に行くつもりがなかったので、「そっかあ。ちょうどいいかな。」とその時不思議とすんなり思えて、今の事務所にモデルの応募をしたのがそもそものきっかけです。それまでファッション誌も友達が買っているのを少し見せてもらう程度であまり興味は無かったんですが、無知だっただけに、先入観なく、素直に、この道に入れたし、オーディションで事務所に来た時もすごく楽しかったんです。見えない未来が開けて、この先にすごく可能性があるような気がして、ワクワクしていました。
—ずっとモデルになりたいと思っていた人とは全く違う状況だったんですね。
同級生のみんなは大学に行く準備を徐々に始めていて、私は高校一年生の夏にモデルに応募し、高校二年生位でオーディションに来てましたから、高校卒業後の進路の準備と思って進められました。高校二年生の冬位からモデルのお仕事を始めて、だんだん忙しくなってきていたので転校して東京に来たんです。
—将来に対するプレッシャーはその時は全く無かったんですか?
なかったんです。東京に来るのも、「行くぞ!」という強い気持ちがあった訳でもなかったんです。高校を卒業したら・・・という程度の気持ちだったんですが、実はちょうどその頃失恋をしたんですよ。それまでは恋愛にエネルギーを注いでいたのが、失恋をしてエネルギーの行き場がなくなっていたところで、「モデルになる」ということに上手くエネルギーをシフト出来たんだと思うんです。「じゃあ、それしかない。東京に行って頑張ろう!」と思えました。
最初は地元から通ってました。そのうちにティーン誌の仕事が始まってとても楽しくなってきたんです。ティーン誌だとほとんど同世代の子だし、お友達も出来て楽しくなってきて、そのうちにボーイフレンドも出来て・・・。毎日楽しくて楽しくて(笑)。忙しくなってきたこともあったし、学校ももう休めない。じゃあ転校しよう、と思って流れるように東京に来たといった感じです。
"出来ないからこそ、よく見よう、知ろう、学ぼうという意識は強かった"
—本当に自然な流れでモデルの道に入られたんですね。その時、モデルが「職業」という感覚はありましたか?
全くなかったです。部活動かサークルのような感覚ですね。
—実際、モデルの現場に出てみていかがでしたか?
本当に刺激的で楽しくて楽しくて。学校以外で同じ年位の子と過ごせるし、仕事場との出会いも自分にとってすごく良かったのかもしれません。編集の人やスタッフの人にもすごく恵まれていたと思います。
—カメラの前でどう振舞ったらいいのかなど、自然に身についていったんですか?
全く未経験だったが故に、現場では「出来ないのが当たり前」ではないですが、多少出来なくても許されていた部分があったような気がします。ただ、出来ないからこそ、よく見よう、知ろう、学ぼうという意識は強かったです。不安よりも楽しさの方が大きかったですね。新しいものに対する興味もありましたし。メイクも初めてしてもらったり、いろんな服を着るようになって、ファッションにもだんだん興味が湧いてきて。どんどんモデルの仕事が面白くなって、「もっと上手になりたい。もっとたくさん撮ってもらいたい。」そういう気持ちが強くなってきたんです。
—それが10代の頃で、そこから職業としてのモデルを意識しはじめたのはいつ頃ですか?
高校を卒業後、本格的にモデル一本になった時ですね。ちょうどその頃94年~95年位はスーパーモデルブームだったんです。所属しているエージェンシーには外国人のモデルも多いので、そういう環境で自分が思い描くモデル像と、自分がやっているモデルの仕事と大きな差があることに気づいたんです。私が思い描くモデル像はとてもスタイルが良くて、綺麗な顔をし、気取ってないといけないイメージ。ティーン誌ではそれは求められていなくて、そのギャップの大きさに、自分がモデルだということにすごくコンプレックスを抱くようになっていました。
—今だと国内のファッションやモデルさんがとても人気ですけど、その当時はわりと海外に目が向いていた時代だったんじゃないでしょうか。
そうかもしれないですね。それと国内のモデルさんでも、わりとクールな人が注目されていた時代でした。自分はクールなイメージとは全く違うなと思っていたので、当時は自分のことがあまり好きじゃなかった。19歳位でしたが、その年頃なりに仕事がどうなっていくのかという不安がありました。
"今自分がいるところで何が出来るか"
—今のSHIHOさんは、芸能界で珍しい領域にいるんじゃないかと思います。モデルから女優に転進される方はわりといらっしゃいますけれど、そういうこともなく、だからといってモデルだけかというと、そうじゃない。プロデュース等のモデル以外のこともたくさんやっていらっしゃっいます。
ここまではすごく長い道のりがあるんです。いろんなことがだめなのは事務所がだめなんじゃないかと思って、辞めようと考えた時もありました。
でも本当は周りがだめなんじゃなくて、自分が変わらなければ、自分を磨かなければだめなんですよね。当時の私はあれが嫌だ、これが嫌だと言っていたので、会社の人にもとても怒られて、「とにかく何でもいいからやりなさい。」と言われました。遠い先の理想を目指しながらも、今目の前のことに集中して、一生懸命にやる。それを繰り返していくうちに、気がついたら思っていた未来とは違っていても、想像以上に良い状況になっていました。
そうなった時に、次のステップへという話は結構あって、「女優にならないの?」と言われたり、他の芸能事務所の方にも「どうなりたいの?」と訊かれたこともありました。その時に「自分はどうなりたいんだろう?」と改めて考えたんです。でも女優として一番になりたいとは思えなかった。私は「いいスタッフ、いい人と巡り会いたい」という想いの方が強くて、モデルを辞めて次の世界に…といっても、女優は芸能の世界、場が違うと思いました。事務所についても私が所属する今の会社のメンバーが私にとってベストメンバーで、すごく長く支えてもらったし、すごく大事な存在です。やっぱり支えてくれている皆と一緒に成長したいし、これからもいいスタッフに巡り会いたい、そういう結論に達したんです。どの世界でも一番を目指さなければ二番にもなれないでしょ。今自分がいるところで何が出来るかということをこれからもずっと探していこうと思って、それで現在の私があるような気がします。
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人は、夢や未来を遠くの離れ小島のようなものと想像しがちです。でも、夢や未来とは「今日の延長上」にしか存在しないものです。
「いい女」の条件29(三笠書房、小林悟 著)
ですから、今日あなたが何をしたかによって夢や未来は明るくなったり、暗くなったり、近づいたり、遠ざかったりします。つまり、未来とは、あなたの生き方によって、どうにでも変化していく「揺らいだ姿」をしているものなのです。
(中略)
人生とは、ジグゾーパズルと同じで、悩みながらワンピース、ワンピース探し当ててつくるもの。 (P105-106)
—そのお話と関連して、小林悟社長の著作「いい女の条件29」を読んだ時にとても感動したことを覚えてます。もしかしたらすごく当たり前のことを書いているのかもしれないんですけど、僕も含めて、わりと多くの人が見えていないことが多いんだろうなと思ったんです。男性にも通用するようなことがたくさん書かれていたと思います。
その本の中で『"今"とか"ここ"ではない所に何かを求めても実は何もない』というメッセージを特に印象深く受けとりました。
SHIHOさんにとって、小林悟社長の影響もやはり大きかったんでしょうか?
そうですね。当時は、私にとってプロデューサーでしたから。社長は全体を見ていましたので、個別に密に話す機会はあまりなかったんですが、辞めたいと思った19歳の時に何度かミーティングをして、悩んでいる事やどうしたらいいかわからない事を相談したりするようになったんです。そうやってアドバイスを受けたり、コミュニケーションを取るようになってからは、時々自分の状況を話すようになりました。仕事もプライベートもすごく落ち込んだり、悩んだりした時には、いつも話を訊きに行って、やる気をたくさんもらっていました。言われたことを次に活かしてやってみる、その繰り返しでした。
"どんな人を素敵だと思うのかを常に意識"
—すごくポジティブだなと思うんですけれど、そういう感覚は自然に身につきました?
一番最初もそうですけど、私は良い意味であまり物事を知らないんです。無知ゆえにいろんな事が出来てしまうというか、自分でも無知を自覚しているので、出来ないことをわかってるからこそ、「もっと知りたい、やってみたい。」と思えるんですよね。ある意味、楽ですよ。自分がだめなことを自分自身、受け入れて認めちゃっているから。
—それってとても大事なことで、でも普通はなかなかできないですよね。
でも私本当に無知なんですよ(笑)。最初から出来る人も、言われる前にやれる人もいるんでしょうけれど。
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人間って、自分の経験したことが判断の基準になるっていうから、だったらたくさんの経験をしたい。自分の判断基準を上げる。それこそ、自分自身を磨く、養うってことだと思う。それは感性、五感を磨くこと。いいものをたくさん目で見て、耳で聞いて、鼻で香り、口へ含む。そして肌で感じる。いいものを知らないと悪いものがわからない。だからこそ、上質と言われるものにいつも触れていたい。そして、いつも新しいものを受け入れる柔軟性をもっていたい。
model;Shiho(ソニーマガジンズ、SHIHO 著)
(中略)
年を重ねていくごとに、見た目の美しさではない、中身の美しさを養っていきたい。そしてそれが、深くにじみ出るような美しい女性になりたい。 (P145)
—これもある本を読んでSHIHOさんの言葉から感じたんですが、「自分の世界や自分の視野を広げなきゃ」というメッセージがすごく伝わってきたんです。 そういったことは日々の生活の中で意識されてるんですか?
そうですね。何でもただやみくもにいろんなものを見て経験してというよりは、自分が一体どんな人になりたいのかという軸や、自分に足りないものは何なのかということを意識してます。
例えばある憧れの女性がいたとして、その年齢年齢に応じて、その人が良いと思うものは変わっていくはずだと思うんです。それに応じてその人の持つ美しさや良さもどんどん変化していく。変化って自然なことですよね。変化していったほうが、より輝いていられると思います。
だから、自分はどんな人を素敵だと思うのかを常に意識して、そのために必要なことや足りないものを補っていくようにいつも心がけています。(次週、中編に続く)
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