藤竜也

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藤 竜也さん(前編)

1962年に日活で俳優デビュー以降、100本以上の映画に出演している藤竜也さん。硬派な役、シリアスな役からコミカルな役まで演じきる、その演技の幅広さと圧倒的な存在感で、長きに渡り幅広い層から人気を得ている。自然体で飾らないふるまい、語り口が非常に印象的で、俳優としてこれほど長く活躍し続けていてもなお、仕事に対して謙虚な姿勢を持ち続けていることが伝わってきた。
インタビュー前編では、俳優の道に入られたきっかけ、2008年2月23日から公開した映画「窯焚−KAMATAKI−」で演じた陶芸家・琢磨にいかに接点を見出したか、禅の精神についてのお話などを伺った。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2008年2月23日)

"長い時間をかけて自分に何かが残っていく"

野良猫ロック セックスハンター

—僕が初めて藤さんの出演映画と出会ったのは高校生の時でした。当時僕が憧れていた先輩から観せてもらった古い映画があって、それが1970年代の日活の「野良猫ロック」シリーズの「セックスハンター」だったんです。「これはものすごくかっこいい!」と思い、すごく衝撃を受けました。それ以来、藤さんの出演される映画を観るたびに感じることがあります。映画館に行くまでは「藤さんの映画を観るんだ」と気合いを入れて行くのに、観始めて30分位経つと藤さんということを忘れてしまっているんです。観終わると「あ、藤さんの映画だったな」と思い出すような感覚が常にありました。

嬉しいね。じゃあ、ちゃんとその役を演じきれてたということだね。

—藤さんは20歳から役者を始めてこれまで46年もの間、映画・テレビの世界で役者として活躍されてきましたよね。これまでのその長い年月では映画であったり大きな仕事を終える度に、藤さん自身も変化を重ねてこられたと思うんです。振り返ると、それはやはり一つ一つの仕事の中で得るものであったり、いろんな人との出会い、その中でまた一つ新しいことを知っていく・・・そういったことの積み重ねで今の藤さんがあるんでしょうか?

そうでしょうね。特に映画の場合は仕事を受けてから終わるまでスパンが長いですからね。僕だけじゃなく関わっている人全員がそう。やっぱりその過程を通過すると、長い時間をかけて自分に何かが残っていくと思いますね。今公開している「窯焚−KAMATAKI−」だって4年目にようやく日本で日の目を見た訳だし。そういうことを考えると何かを通過していく中で薄いレイヤーがいくつもいくつもあって、それが次第に肉体に残っていくのかなと思います。体の中見たら空っぽかもしれないけれど(笑)。

"何かを表現したいという気持ち"

—元々、日本大学芸術学部演劇課在学中に日活に入られたと伺ったんですが、俳優という道を志そうと思ったきっかけはどんなことだったんですか?

二十四の瞳

僕は映画が大好きでね。僕は個人的には木下恵介さんの映画を観ると生きる勇気を与えられるんですよ。楽しかったですね。もちろん石原裕次郎さんの映画も別の意味でかっこいいなと思って好きでしたし。やはり映画はもの凄く身近なものでしたね。小さい頃もスキップしながら小遣いをもらっては映画館に観に行ったりしてました。街の中にも一つや二つは映画館がありましたからね。映画は本当に凄く好きでしたよ。
僕は勉強もあまりしていなかったですし、特に明確に何になろうというあてはなかったんですよ。体質的にあなたも同じ感じだと思いますが、僕のような文化系の人間は何かを表現したいという気持ちが強くありました。そんな中、俳優にならないかという話がきたんです。

—じゃあ、すごく自然に役者という道に入られたんですね。「俺は役者だ」というアイデンティティのようなものを、自分の肌で感じるようになったのはいつ頃ですか?

そうですね。うーん、40歳過ぎてからかなあ。

"禅的な解放された感覚は僕らにはわりとわかりやすい"

—そうなんですね。今日、藤さんの出演された映画「窯焚−KAMATAKI−」を拝見しました。陶芸家である「琢磨」と「窯の火」の関係性と、「琢磨」と「主人公・ケン」の関係性が非常に重なって見えました。窯に丁寧に薪をくべてその火を保っていくということと、人間の感情も同じようなものだと感じました。

湿った状態で日本にやって来たケンに、琢磨はそれほど気を遣っている訳じゃないけれど丁寧にコミュニケーションしていく。それで最後に、ケンの心の中の火が戻った瞬間があって、とても感動しました。
「窯焚−KAMATAKI−」の「琢磨」という役と藤さん自身の接点のようなもの、もちろん藤さん自身陶芸をされていたということもあるんでしょうけれど、それ以外に何かありましたか?

この映画はご存知の通り、クロード・ガニオンさんという一人のカナダ人の監督と日本との長きに渡る関わりの中で、日本の精神文化のようなものに深く立ち入っていこうという彼の中の一つの答えのように思います。おそらく琢磨という男の生き方は、彼が考えた日本の文化の良いところなんでしょう。西洋の文化あるいは宗教や人の生き方などにおいて、あるいは規範の置き方という面で、日本人のそれはおそらく全く西洋的ではないと思うんです。ガニオン監督が日本に惹かれたのもおそらくそこだと思うし、そういったガニオン監督の日本観の結実のような映画だと思います。それが琢磨と窯の世界にもあると思います。
仮にカナダ人が琢磨のことを奇異に感じるとしても、僕らはそれほど感じないと思います。ガニオン監督が最初の頃、禅にまつわる本で一休の本を参考に読んでくれと言ったことがあったんです。訳がわからないし、何が書いてあるかわからないから読むのをやめてしまったけれど(笑)。琢磨は、どこか現代社会のプリンシパル・規範とは違うところで生きている男です。琢磨の持つ禅的な解放された感覚は僕らにはわりとわかりやすいんですよね。一休の難しい本を読まなくても、こういうタイプの何らかの道の達人はイメージの中にありますからね。そういう面で接点を見出すということはそんなに苦労はしなかったですよ。

—そうですか。ちなみに、「琢磨」は女性にもかなりモテてる感じでしたね。

うらやましい男ですよ。僕が演じたこの琢磨という男は(笑)。

"あまり難しいことを考えずにもっと楽に生きたらどうだろうか"

—僕は77年生まれなんですが、僕らの世代では、情報がどんどん溢れてきていて、その中で良いものと悪いもの、善と悪などというものを秩序立てて自分の中で意識して整理していかないと気が済まないような時代であるように思えます。藤さんが今おっしゃられた禅的なものというのは、もっと混沌とした感じがします。表は裏であって、裏もまた表であるような・・・言葉ではうまく説明できませんが。

空海も同じような考え方をもっとわかりやすい言葉で書いていて、そういった本を読んだことがありますけれど、こういう考え方、つまり「女性と戯れるのもこれもまた仏だ」ということをあまり否定していないんですよね。やってはいけないこともどこかにあるんだろうけど、「あまり難しいことを考えずにもっと楽に生きたらどうだろうか?」ということじゃないかと思うんですよ。世の中たまにとんでもないことをやっちゃう人もいるだろうけど、基本的には何をやったって仏さんの手の中にある…そういうようなことを肌で感じてケンは解放されていったのかなと僕は思いますけどね。(次週、中編に続く)

しあわせのかおり

中谷美紀さん、藤竜也さん主演の"おいしさ香る"映画「しあわせのかおり」が10/11よりロードショー!!
中華料理店の料理人・王さんを演じる藤竜也さんは4ヶ月以上もの調理レッスンを行って撮影に挑んだという意欲作!
パーソンアップでも「しあわせのかおり」スペシャルページとインタビューをアップしました!
スペシャルページはこちら!

藤竜也さん主演映画 「窯焚−KAMATAKI−」2月、新宿バルト9にて公開されました。詳細はコチラ

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