藤竜也

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藤 竜也さん(中編)

インタビュー中編では、映画「窯焚-KAMATAKI-」で演じた琢磨の発言から感じたこと、20代から日活で俳優として活躍されいてた当時のお話、野良猫ロックシリーズの長谷部監督との出会い、藤さんの役作りのスタイル、など興味深いお話を伺った。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2008年2月23日)

"空にしておかなきゃいけない部分はある"

―映画「窯焚-KAMATAKI-」の中で印象に残ったのが、藤さんの演じる琢磨の言葉で「empty your cup」(杯を空にしなさい)という台詞です。すごく感じ入りました。

いいですよね。あの台詞は。僕もあれで襟を正しましたよ(笑)。あれ以降、時々自分にも言い聞かせるんですよ。「empty、empty」って。

―映像と演技と台詞が溢れている素晴らしい表現だったと思います。お椀からお茶が注がれている様子を僕らはスクリーンの外から観ていて、とてももどかしい気持ちになり、スクリーンの中では「スコット」という外国人が、「何をやっているんだ」というような表情で琢磨とその光景を見ている。その緊迫状態の中、琢磨は「杯を空にしなさい」と言ってお椀からお茶をこぼす。すごく心に響きました。振り返ると、まさに自分もあのお茶碗だと思いました。空っぽになって、頭をすっきりさせておかないと入るものも入ってこない訳ですよね。

どなたにもあてはまるんじゃないですかね。時として知らず知らずに一杯にしてしまってることが多いですよね。僕もよく反省しますよ。空にしておかなきゃいけない部分はあるんでしょうね。

"忙しく生きることはあっても、
何も「きつく」生きる必要はない  "

―琢磨の性格の面でここは理解できるとか、ここは自分と似ているなと思うところなどありましたか?
琢磨はどちらかというと俗世間から離れ、自分の世界観で自分の道を行くタイプですよね。スクリーンの外で観ると、なんとなく藤さんと重なっているようにも観えたんですけれど。

どうかなあ…。似ているところ、あるんでしょうかね(笑)。わかりませんね。
ただ、情報がたくさんあり過ぎて整理がつかずに、がんじがらめになるということだけは、お止めになったほうが良いと思いますね。皆さん自分の物差しをもっと信用していいんじゃないかと思うんですよ。そうしないと、どんどん自分がきつくなっていくと思うんです。せっかく生まれてきたんだから、忙しく生きることはあっても、何も「きつく」生きる必要はないんですよ。要らぬプレッシャーを自分の中で肥大化しちゃって、どつぼにはまっていくような危険性がこのケンという青年にもありますよね。とにかく操作をされるわけではなく、僅かながらでも自分の時間を自らが操作するという風にした方が、もう少し気分が楽になるんじゃないかと思います。
僕はコンピューターもいじらなければ、携帯電話も着信と発信しかわからない。その言い訳をしている訳じゃないんだけれどさ(笑)、僕にとってはそんなことはあまり必要じゃない訳で、そういった情報の多さの中で自分の意味を出す、意味を持たせるということは難しいことじゃないかなと思いますよ。結構大変じゃないかと想像しています。 

―藤さんが20代に日活にいらっしゃった頃の作品数は、今では考えられないほど、とてもたくさんありましたよね。あの当時は一本一本の映画が今よりもっとショートスパンで撮られて、次の映画の企画もどんどんあがってくる、そういう時代だったんですね?

そうですね。石原裕次郎さんや小林旭さんの映画の全盛期の時代があって、それから徐々に全体として傾いてきて、僕が30歳の頃には日活が一時閉鎖になったんですよ。だから、僕はちょうど10年弱日活にいたんです。

―まさに20代の時期がその時期ですね?

野獣を消せ

そうですね。さきほど映画「セックスハンター」が面白いと言ってくださったことはありがたいですね。自分としては一生懸命やってきて、あの頃からようやく、演じ方がちょっとわかってきた時だったんですよ。おそらく。
それで「野獣を消せ」という映画に出演した時に、ちょっと一皮向けたという感覚がありましたね。その頃、感触のようなものがちょっと掴めた気がしました。

―その当時、野良猫ロックシリーズの監督でもある長谷部監督との出会いというのはやはり大きかったですか?

ええ。大きいですね。長谷部さんは僕を面白がってくれましたからね。僕の出すアイディアをいろいろ取り入れてくれましたし。

"根っこが無ければ枝葉も出てこない"

―その頃から役者というものは監督が創る映画の一部になるという感覚を持っていましたか?
「窯焚-KAMATAKI-」の舞台挨拶での藤さんの言葉でも印象的でしたが、「映画についてどんなメッセージがありますか?」と司会の方に聞かれた時に「いや、それは監督がこの場にいないので。」とちょっとはにかんで答えて笑っていらっしゃいましたよね。

そうですね。俳優って本当に小さなところですよ。そういう他にもたくさんある小さなことが集まって映画が出来る訳ですよね。その舵取りが監督で、目的地は監督しか知らないんですよ。時には監督も知らない所に着いてしまうこともありますけれど。基本的にはそうですよね。だから僕らはあくまで各船の各箇所で動くスタッフですよ。そう思っています。

―現場の"船"に至るまでの段階の準備というのは、藤さんはそれぞれの映画でどのようにされていますか?

ものにもよりますね。時代がかなり前のものであれば参考書等で準備しなきゃいけない仕事もあるし。例えば生きている人の役あるいは参考になる職業の人がいる役なら、会えれば会います。刑事役であれば、警察官の人と雑談しながら話を伺う。舞台となる場所の住所があれば、それが北海道のなんとか町のなんとかという所だとしても、とにかくその場所に行きますね。その場所に行き、その場所の空気を吸う。自分が演じる男の家が仮にここだとしたらと想定して、ここにポストがあって、ここには魚屋があって、この男はここを毎日歩いてるんだな・・・というようにイメージします。そうするとだんだんその気になってくるんですよ。少しずつ役が染みてくるというのかな。安心できるというか。他愛無いことですよ。自分が安心すりゃあいいんです。

―それは演じることの根っこの部分から入っていく感じですね。「こういう喋り方にしよう」とか、そういう枝葉の所からじゃないんですね。

そうですね。根っこが無ければ枝葉も出てこないからね。もちろん枝葉みたいなこともやらなくもないけれど、根っこが無いと枝葉を伸ばし様がないですから。

"風を拾いながら自分で風の方に行き、また風を拾って少し走る"

―そうやって一つ一つの映画に取り組まれて、60年代に比べてだいぶ映画の数が減った時期がありましたね。僕はリアルタイムではその頃の藤さんの映画を観ていないんですが、後でDVDで観れるものを観ていると、この時期とても数が減っているなという時期があって、それはやはり出演作を選ぶということもあったんでしょうか?

まず、仕事がなくなってきたんです。ある大きな風が吹いていると、やはりある時風は止まるんですよ。基本的には次はもう吹かない。だから自分で一本一本転がっていかなきゃいけない。この仕事をやって上手くできたら、ぽとっと転がって、それをまた誰かが見ていてくれて、面白いなと感じてくれる。そうするとまた次、また次、という風に、要するに風を拾いながら自分で風の方に行き、また風を拾って少し走る。それの繰り返しだと思います。風が後ろから吹くのではなくて、風の上に向かって上がっていく、そういう時代になったのかなと思うんです。その方がいいですね。昔みたいに仕事が多すぎると今はもう出来ませんよ(笑)。
ただ、仕事をやらないのは勝手だけど収入がないとね。その板ばさみですよ。出来れば年に2本位やらせてもらって、後はだらんと過ごしたいですね(笑)。(次週、後編に続く)

しあわせのかおり

中谷美紀さん、藤竜也さん出演の"おいしさ香る"映画「しあわせのかおり」が今秋公開予定!
中華料理店の料理人・王さんを演じる藤竜也さんは4ヶ月以上もの調理レッスンを行って撮影に挑んだという意欲作!
パーソンアップでも「しあわせのかおり」スペシャルインタビューを今夏アップ予定です!どうぞお楽しみに!

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