俳優 イッセー尾形

  • 1カラム
  • 2カラム

イッセー尾形さん(前編)

1980年に本格的に一人芝居をスタートしてからこれまで、舞台で数々の『人』を演じ、国内外問わず、たくさんのファンから厚い支持を得ているイッセー尾形さん。独自の視点であみ出されたネタと巧みな演技で常に観る人を楽しませてくれる。飾らない人柄の中に一人芝居というスタイルを貫いてきたイッセーさんの強さを感じたインタビューとなった。
インタビュー前編では、イッセーさんの故郷観、役者を志すにいたったきっかけ、演出家・森田雄三さんとの出会い、一人芝居という今のスタイルに辿り着くまでのお話、「バーテンによる12の素描」などの上演で現在の一人芝居の基となる手法を見つけ出すまでの苦労など、イッセーさんならではの世界の源を探るべくお話を伺った。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2008年3月5日)

"楽しい事を見つける「遊び」というのは生活の一部"

―子供の頃のイッセーさんはどういうお子さんだったんでしょうか?今僕らが見ているイッセーさんの像と重なるところなどはありますか?

僕みたいな、いい大人が舞台の上で「一人芝居」という一人遊びをやっている訳だけれど(笑)、そういう意味で、子供の頃も雨の日に家で一人遊びするということは多かったですね。
普段は、友達と「仲良し3人組」というのがあって、小学校3年生の時に東京に引っ越してきて以来、4年生から卒業するまでは、ほとんど毎日のようにその3人組で遊んでました。時々、一人で遊ぶ時は、部屋の中で誰しもやるように遊んでいたんですが、基本的にはいつもその仲良し3人組一緒でした。
今も昔も楽しい事を見つける「遊び」というのは生活の一部として、いつもありますね。

―イッセーさんにとって故郷というのは福岡ですか?

福岡は故郷という感じでもないんです。家ごと東京へ引っ越して来ましたからね。「故郷」という言葉に巡り合ったのは、ずっと大人になってからです。正月に田舎に帰る人がいて、それが「故郷」だと言われている。「じゃあ、うちは故郷が無いんだな」と自覚しました。元々無いものだから、欲しいとも思わないし、僕の中では「生まれたルーツ」というものは薄いんですよ。
僕の舞台の演出家の森田雄三は生まれが金沢なので、一緒に行ったことがあったんです。彼の青春時代の場所をふらふらと歩いたことがあって、その時に「あ、故郷というのは、こういう距離感を持つんだ。」と、それはそれはうらやましく感じました。その後、一人芝居の公演で何10年ぶりで博多に行った時に、爪の先ほどの懐かしさというか、そこの「空気」、そんなものを感じました。ちぎれ雲が海の方からビュンビュンと飛んでくる、そんな東京には無い「空の光景」がそこにあって、「ああ、こういう空を子供の頃見てたなあ。」と懐かしく思い出しました。

"僕の故郷は、その吸ってた「空気」だけ"

―僕も福岡出身なので、その空の様子はすごくわかります。

だから、僕にとっての故郷の「現物」は何も無いですが、僕の故郷は、その吸ってた「空気」だけだなと思いました(笑)。

―子供の頃や青春時代、例えば高校生の時などに、ぼんやりと「将来的にこういうことをやりたい」という願望はありましたか?

その当時はそういう願望も特に無くて、高校3年生の時に皆が大学受験のことを考え始めて、それで焦りましたね。将来の目標があってそれにふさわしい大学を選ぶ、そういう風に皆が大学受験を考えているということはわかったものの、僕はどうしてもそういう考えを持てなかった。ただ、大学受験をするならば、どこの大学を受験するかは、とりあえず決めなきゃいけない。当時の担任の先生が美術の先生で、素敵な先生だったので、自分の未来をその先生に見つけて、「大学に行って、教員免許を取って美術の先生になろう」という仮目標みたいなものができたんです。
そうなると、それまでやっていた部活、サッカー部を辞めて、勉強しなきゃと思って勉強し始めました。昨日までボールを蹴っていた自分が、今日は美術室で木炭を持って石工デッサンをしている、美術室には大きなプラタナスの木があって、夏の陽射しで大きな木陰を作っていて・・・「おお、芸術っていいなあ」なんて思いました(笑)。なんとも変わり身が早いというか(笑)。でも、夏休みにその美術室でデッサンしていた時の光景は、今でも強烈に、新鮮に、脳裏に焼きついてるんです。水泳部の子達が水を蹴る音、かけ声、それでいてひっそりしている美術室・・・。

―今、イッセーさんがご自分で絵を書かれたりしているルーツはそこにあるんでしょうか?それとも、それよりももっと昔から?

もっと昔からです。千葉哲也さんや横山光輝さんなどのマンガが好きで見ていた世代ですから、よく書き写していました。

"「いっそ役者がいいな」と思った"

―そうして美術の道に一歩足を踏み入れた後、役者になる前にビルの清掃をやっていた時期がありましたよね。それまでの道のりはどういう流れだったんですか?

大学を落ちて浪人していたその間、アルバイトでビル掃除をやっていたんです。それで秋口になった頃、一人ただただ勉強するという生活が耐えられなくなって、大学受験をやめることにし、今度はギタリストになろうと思った時期が来ました(笑)。
たまたま高校3年生の時にフォークギター、フォークソングブームで、自分でも安いギターを買っていたんです。それで、すぐ近くでやっているクラシックギターのレッスンに通うようになって、毎日自分の手元にギターがあると、「これで何とか飯を食えるんじゃないか」と思っちゃうんですよ。それで3ヶ月ほどレッスンに通ったんですが、ここまでは簡単にクリアできて、ここからは難しくなるというような段階がやはりあるんですよね。その「ここまで」は、すんなりクリアできたものの、次がなかなかクリアできない。それで「やっぱり向いてないんだな」と思いました。
もうその頃には、大学に行く気は全く無かったですから、これから何かやらなければと考えていた時期に、ビル掃除のバイトでパントマイムをやっている子に出会ったんです。「そういうものがあるんだ。」と初めて知ったんです。なにか不思議と「いいな」と感じるものがあって、「いっそ役者がいいな」と初めてその時思ったんです。

"役者としてギャラで生活・・・という発想も無かった"

―その頃、パントマイムから派生して、その向こうに「役者」として何か大きいものを思い描いていましたか?例えば「映画に出たい」とか、「舞台に立ってこういう役者になりたい」という気持ちであったり。

役者と聞いて思い描くとしたら西部劇とかね(笑)。じゃあ、自分がテレビでバキュンバキュンと西部劇みたいにやるのかという話ですよね(笑)。本当に現実的なイメージは無くてね。「コンバット」という海外ドラマがあったでしょ。そんなイメージ。だから、自分がまさかそんなことをやるというような、大それたことは考えてなかったですよ。

周りに「役者になって何をやるんだ?」と聞かれると、とっさに思い浮かぶ映像がジョン・ウェインだったり(笑)。本当に自分とは無縁のね。

―その中で、かたや生活していかなきゃいけないということを考えなければいけない訳ですが、それと役者への道はその時、結びついていたんですか?

いやいや、まだまだ全く結びついてなかったですよ。バイトしながらやっていればいいですし。役者としてギャラで生活・・・という発想も無かったです。

"今があっての将来。将来は無ければ無くてもいい"

―将来的に・・・ということもあまり考えずにいたのでしょうか?

ええ。考えなかったですね。僕は「将来があって今」という考え方じゃないんです。「今があっての将来」。将来は無ければ無くてもいいと言いますかね。

―その中で森田雄三さんとの出会いは、どういったものだったんですか?

演劇学校に入ろうと思ったんです。学校に入るにも試験も無ければ、「いつでも誰でもどうぞ」という状態だったから、飛びついた訳です。その学校の面接官といいますか、お給料や月謝を管理する人、それが森田雄三だったんです。その頃の彼は、髪の毛を長くして、カーキ色のコートを着て、自転車を乗って、その自転車にバケツをくくりつけて乗ってる・・・そんな感じの独特の風貌でした(笑)。

―(笑)。森田さんの事務所に入ったような形だったんでしょうか?

いえ、その学校は別の人が主催しているアクターズスタジオという演劇学校で、森田さんはそこの塾長さんというか、お金を集めたり、先生が来ない時は先生の代わりをして授業をやったりしてました。彼はその頃役者さんとして、自由劇場の舞台に出たりと忙しくしていましたからね。

―その頃はまだ、森田さんが演出で、イッセーさんが役者という関係ではなかったですよね?

ええ。そうではなかったです。

―それから、また二転三転あって・・・ということだったんですか?

それから1年で学校が終わり、その後に自由劇場で芝居をすることになったんです。そこで初めて、森田が演出して、僕が役者として舞台に出ました。ボクサー3人の話で、少年がボクシングチームに来るという物語。森田もコーチ役で出たりしているんです。森田が本を書いて、演出して、自分も出演した「ボクシングエレジー」という舞台が、彼の最初の演出作品です。

"「役者一人、演出家一人で何が出来るか?」と二人で考えた"

―その頃のイッセーさんは舞台の役者さんで、そこから、行く行く辿り着く「一人芝居」という形は想像していましたか?

その頃は全くないですよ。芝居は一人でやるものだなんて思ってもみなかったです。

―それから、今の「一人芝居」に辿り着いたきっかけというのはどういったことだったんですか?

その芝居のグループもなくなって、みんなそれぞれの生活があるからと、ばらばらになり、僕と森田も一度繋がりが切れた時期がありました。その後、偶然にも再会して「もう一回芝居をしないか」と森田に薦められたんです。それで、「役者一人、演出家一人で何が出来るか?」と二人で考えた訳です。
今までの僕の発想だと、一人でやれることといえば漫談やコメディアンとか、それ位しか思いつきませんでした。そんなことをやった日も1日はあったんですが、やっぱり自分達のやりたいことはこういうことではないとすぐ気づきました。
何年かかけて芝居をやろうと思ったんですが、その形はコメディでもお笑いでもなく「人物を作ること」ではないかという結論に至ったんです。「じゃあ、人物をどうやって作ったらいいんだろう?」と考えた時に発見したことが、森田の提案ですが、僕じゃない「誰か」に全部見た目を変えること。オールバックにして、ヒゲをはやして、バーテンの格好をして、僕とは別人の誰かを作るということを試みたんです。
それで出で立ちは整ったけれども、今度は中身。「一人芝居という一人の世界をどうやって作っていくべきか」ということがまた難問でね。とことん考えた結果、バーテンというのは、台詞のように毎日毎日使い古し以上に使われた言葉の集積で成り立っているんじゃないかと思ったんです。「いらっしゃいませ~」とか「だよねん」とか、スコッチを「スコッチじゃけん」とか、そんな風に言う。そんな何も考えなくても出てくるような言葉たちをノートにいっぱい書き留めて、とにかくそれで作ってみたんです。でも、それだけだと面白くない。それで、もう一つ、バーテンがここにいる大きな理由を設定してみたんです。「退屈極まりないから退屈しのぎの為にここにいる」と。
カウンターの中では、劇的なことは何も起こらない。だからこそ退屈しのぎのために、あえて劇的モメントらしきものを自分でこさえ始める。何のことはない、店の若い者をいじめたり、「俺は昨日こんなすごいことがあった」と自慢話をしたり、お客さんには、そこまでしなくてもというほど異常にへつらう、とかそういったことです。そうやってへつらうのは何もお客さんのためにやっているのではなく、自分の埋まらない時間を埋めるため。一人の人物に対して、そういう風に見出して作っていく、その連続でした。
今でこそ、こうして口で言えますけど、その当時は自分でも何をやっているか、何をやるべきか、全然わからなくてね。森田と二人でやりとりをしながら、一歩前進しては二歩後退、そんな感じでした。(次週、中編に続く)

◆イッセー尾形さんからPersonUpの読者の皆様へ“スペシャルプレゼント”があります!今後のインタビュー記事で発表しますのでお楽しみに!

イッセー尾形さんの公式サイトで公演情報もチェック!

◆イッセー尾形さん・「ら」が行うワークショップ、詳しくはコチラでも紹介しています。

  • 前編
  • 中編
  • 後編
  • 特集ページ

Page Top

Trackback : 0

このインタビューへのトラックバック先URL
http://www.personup.net/mt/mt-tb.cgi/107