演出家 森田雄三

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森田雄三さん(前編)

1980年以降、イッセー尾形さんの一人芝居を演出し続けている演出家・森田雄三さん。また、普通の人々を集めて行う演劇ワークショップを全国各地で行うなど、演出家として多くの人と関わり、独自のスタイルで演出を行っている。 既成概念に囚われない自由な発想で、人間の内面や物事を語り、屈託のない表情で笑う森田さん。これまでの自分自身や周囲を、もう一度見つめ直してみる、そんなきっかけになるような興味深いインタビューとなった。
(聞き手・写真:近浦啓(クレイテプス)/ 収録:2008年3月5日)

"3回ほどお医者さんに「死」を宣告された"

―森田さんの新刊「間の取れる人 間抜けな人」何度も拝読させて頂きました。森田さんの本を読んでいると、多くの人があまり経験しないような様々な経験をされてこられたことがわかります。また、特に印象的なのが人間の内面のことやコミュニケーションのことについての深い洞察です。それが一体どこから来てるものなのか、とても興味を惹かれました。

僕はどういう訳か3回ほどお医者さんに「死」を宣告された経験があるんですよ。最初は小学校4年生の時の小児結核。僕は金沢で田舎育ちだから、都会の病院にいかなければいけなくなって、母親とその病院に行ったら、そのまま動かないように言われて、即入院。これが一回目。
二回目が、仕事を休まずにはいられないほど足が痛くなって、でも休むのは一週間が限度。じゃあ、いっそ入院するのがいいかと思って病院に行ったら(笑)、お医者さんが「お子さんは何歳ですか?」と聞くわけですよ。子供が小さいことを伝えたら、「入院が長くなると思うから、今度の土日は家でゆっくりしたほうがいいですよ。」と言われてね。一緒に行った女房はそれを聞いて随分落ち込んでいる。僕の方はといえば「簡単に入院したいと思ってもそれはだめだよ」という程度の話かと思っていたんです。その日は女房が今まで行った事もないような高級な天ぷらのお店に連れて行ってくれてね。でも、なんか深刻だなと思いだして、全然美味しくなかったよ。
次の三回目は、金沢にいた時。東京から電話がかかってきて、「とにかくそこから動くな」と言われたんです。その前に受けていた病院の検査結果がわかって、脳に血の塊があると告げられてね。この時はすぐに真剣さがわかったし、「ここで死ぬのか…」と思っちゃいましたよ。確かにその影響か、当時は時々記憶が飛んだり目が見えなくなったりしていてね。だから50代になって初めて自分が「死ぬ」ということにリアリティを感じて、真剣にそれを受け止めましたね。いざ受け止めたらもう自分が情けない、情けない。その日会う予定だった友人に「俺、死にたくないよ~」って電話口で言っちゃったりしてさ(笑)。そしたら、その人、飛んで来てくれたけど。

"自分が思っている「自分」と周りが思っている「自分」というのは、相当のギャップがある"

―自分の「死」を身近に感じた時、どんなことを感じられましたか?

こういう風になって「死ぬ」ということを考えてみても、死ぬ側の人間からすれば非日常的な事だし、「死」そのものが理解できないんですよ。いくら考えてもわからない。それまでは必ず現状復帰してきたから、必ず元に戻るだろうと思っているんだよね。 死ぬとなると女房や周りからしたら、とても大変なことだと思うけど、こっちはつい「すぐ治る風邪」みたいなものだと思い込もうとする。その両者のギャップを何度も体験しているから、自分の「つもり」と周りの人たちが自分を見て感じることがこれだけ凄く違うんだと改めて実感しましたね。
例えば、入院してる時に女房に「あれ、取って」と言うと、女房はすごく心配してるから普通のことが通じない。あうんの呼吸が無くなってくるんです。このことにまずびっくりしましたね。最初はそれがどうしてかわからなくてね。見舞いの帰り際に、わっと泣き出したりする。こっちは何が起こっているかわからないよね。子供も二人とも小さかったから、「こんなに心配してるのに…」とか言われたりして。それを聞いて、向こうの立場から見たら、こういうことなんだと徐々に気づいていったんです。
コミュニケーション論からしても、自分が思っている自分と周りが思っている自分というのは相当のギャップがあるということだよね。健常な時や当たり前の時にはコミュニケーションをちゃんとしているつもりでも、そこに何かが起こった時それが変わってくる。例えば噂や評判なんかも関係してくるけれど、「あいつ、女たらしだぜ」なんて噂が誰かの耳に入ったとすると、噂されてる当人が何かを話していても、相手は「隠してるな」と思ってしまう。そう思いながら表面上は話を合わせてくるでしょ。だから二人の認識は根本から違うんです。こういうことの集積がキャラクターや人の違いだろうと考えてるんですよ。

―つまり森田さんの話の場合、非日常の状況を体験することで初めてそのような「ギャップ」を認識することができたわけですが、実はそれは普段、僕らは気づかないだけで日常でもあるということですね?

そうそう。それがワークショップの芝居の作り方にも関係しているんです。ワークショップの芝居の作り方というのは実に簡単で、ある二人がいて、片方の人が延々と何かを喋っている。もう一方は、どうしてこんなことを喋っているのかわからない。その、もう一方の人もまた関係ない事を喋っている。そうすると、観ている人は「なぜ二人とも関係ない事を喋り合ってるんだろう?」と思いますよね。この二人の間に何かがあるんじゃないかと想像する。
例えばAさんが実はガンの告知を受けて死ぬといわれているけど、Bさんは当然黙っているわけにいかないし、それを言う訳にもいかないから関係のない事を喋る。でもAさんは何か心配されているのがわかるから、「自分は元気だ」ということを知らせるために、また関係のない事を喋る。だから当事者同士は最後まで理解し合わないですよね。でも、それを観ている観客はいろんな状況を想像してそれを感じとるんです。

間の取れる人 間抜けな人

 われわれ「イッセー尾形・ら」(イッセー尾形の芝居をプロデュースする集団。演出家が僕で、相方の森田清子が代表)は素人が四日間で芝居を作る試み(ワークショップ)を二〇〇五年から行っている。
(中略)
 実はこのワークショップの目的は、芝居を作るというより、さまざまな「コミュニケーションの方法」を探ることにある。素人が舞台上で黙って立つ姿に、観客が「オドオドした醜い姿」か「堂々とした人間」を見るかは、紙一重だ。 (P28-29)

間の取れる人 間抜けな人 人づき合いが楽になる (祥伝社新書)

"丁寧に丁寧に絶望していかなきゃいけないんです"

―その状況を俯瞰して見ているということですね。

そうそう。キーワードの台詞というものがあって、それを時々はさむわけです。「僕は死ぬの?」とか「牢屋に入れられるの?」とか。でも相手はそういう言葉には一切反応しない。反応しないで、「今日地下鉄に乗った時こうだった、ああだった」ということを喋る。そうすると、相手はよっぽど自分の状況が悪いんだと予想して、気を紛らわそうとますます関係ない事を喋る。これがそうした状況が浮き彫りになってくるという劇構造ですよね。こういうことは、それほど稽古しなくてもできるんですよ。

人と人との間でもこういうことはよくあること。人間って不思議なもので、気詰まりがあったり、気が重い時、大変な時とか、やたら喋るんですよね。例えば、彼氏が浮気したという状況でも「あなた浮気したでしょ。」とはなかなか言わない。言った後の時間が膨大にあるから。その場では彼も「してないよ」と収める。その後は関係ない事をただ喋る。そうするうちに何かが出てくる…、そういうことが日常でしょ。
どうしてワークショップみたいな演劇の形を思いついたかというと、ドラマとは不条理劇だということ。何が不条理で何が今までのドラマと違うのかというと、「人を殺した」とか、そういう一番肝心な事実を舞台の外に置いちゃうんです。舞台上では、そういう大きな事件よりその後の時間の方が膨大にあるということがわかった後の話を演じる。 これは情報のせいでもあるんだけど、はたから見たら牢屋に入ったら辛いだろうと思うけど、もちろん最初のショックはあるでしょうが、入ってみると実は合宿所とさほど変わらない生活で長い毎日が続く。そこにいるもの同士で話をしたりして日々時間を過ごさなきゃいけない。こちらの時間を扱っているんです。
たとえば膨大な事件といえば、ドイツの強制収容所の話。収容所においても日常は続いている。当初出てきた文献は、いかにナチスが酷かったか、どんなに過酷なことがあったかという情報が大量に出てきたけれど、もうしばらくすると、そこで日常を送った人たちの日記とかが出てくる。
どんな人たちが生き延び、どんな人たちが死んでいったかというと、ユーモアや日常性を持った人が生き残るんです。「夜と霧」という本も強制収容所の話で、「希望を持った人は死んでいく」ということが書かれていて興味深かったね。例えば、過酷な状況に追い込まれていても、「いつか連合軍が助けに来て解放されるという情報を自分は得た」という人が出てくる。この人がリーダーになり、周りもそれを信じてよく働く。でも実際はそうならずに、それからは絶望の底に落ちて、そして死んでいくと。
病気もそうで、安易に治ると思わないほうがいいと言いたいですね。病気というのは治るものだと思っていることが多いけど、でも現実には治らない病気がいっぱいある。周りは「元気出して」とか「頑張って」とか、そういう慰めの言葉をかけるけれど。ガンひとつとっても単に生きるか死ぬかということじゃないよね。何度も入院したり、化学療法の副作用で苦しみながら生き続けることもある。
病院で見舞い客が多い時というのはたいてい最初か死ぬ時なの。皆最初は治ると思って来るし、当人も「頑張るよ」とか言って結構華やかなもの。でも入院も長くなると、あまり来なくなるんだよね。行く方もなんて言葉をかけたらいいかわからなくなる。
最後に死ぬ時には、見舞い客もただ呆然と何をしたらいいかわからずに待っている人がほとんどだよね。その一方で患者は必至に苦しみを訴えていたりする。僕が入院した時、同性の親友で手を握って励ましてくれた人がいたけど、奥さんとかはもうそんなバカバカしいことはしないんだよね。つまり、丁寧に丁寧に絶望していかなきゃいけないんです。死ぬ、つまり絶望に向っていくこと自体は当たり前のことなんです。

 演劇の仕事をしていると、若い俳優志望者が事務所を訪ねてくることが多く、謙虚に「役者になりたいんですけど」と切り出したりするが、こっちは複雑な感慨をもつ。希望のオーラに満ちあふれていて、「どんな苦難も覚悟の上」といった態度なのだ。(中略)
「俳優志望者のほとんどは、みんな途中で止めるんだよ」との老婆心が喉まで出かかるが、「自分の熱意は誰にも負けない」とばかりに、聞く耳を持たないのがわかる。 (P13-14)

間の取れる人 間抜けな人 人づき合いが楽になる (祥伝社新書)

―著作の「間の取れる人 間抜けな人」の中で夢を追って役者になりたいと思っている人の話が書いてありましたけど、冒頭であっさりと「役者になりたい人のほとんどは役者になれずに途中でやめるんだよ」と書かれていました。ただ、もし森田さんやイッセーさんも「やっぱり無理か」と諦めていたら今のイッセーさんの芝居が見れなかったわけですよね。そう思えば、希望を捨てずに、違う仕事をしながらも演劇を続けていたことに大きな価値があったと思うんです。そのようなことを考えながら本を読み進めていたら、後のところで腑に落ちるところがありました。「目先のことを集中していれば、人生は楽になる」というところです。結局、ただ夢を追っている人は遠いところを見ているのではないかと。そうではなくて、おそらく森田さんやイッセーさんも淡々とした日常の中に「役者」や「演劇」があったんだろうと思って納得できたんですよ。

「夢中になってる子供は寝食を忘れる」という言葉があるように、単に楽しいことをしてるから上達したのだろうというしかない。壮大な目標のために努力をするのではなく、そもそもそんな目標があるはずもなく、われわれは目先だけを追って生きてきたし、いまもそうだ。(P110)

間の取れる人 間抜けな人 人づき合いが楽になる (祥伝社新書)

その話と関連しているかもしれないけれど、本で読んだシベリア抑留の時の話にこんなものがあってね。飯ごうで作ったおかゆを何人かで分けてよそったものを自分の後ろに隠して、仲間に「右か左かどっちにするか?」と聞く。相手に言われた方のおかゆをだしたら「俺の方が少ない、損した」ということで言い合いになった。言い合いするのはよくあることだけど、その後、「これを国の女房が見たら笑うだろうなと言って、その両者とも笑いあった」ということが書いてあったんですよ。これが「生き延びるコツだ」と書いているんです。

"あっちで生きるな、ここで生きろ"

―日常性をちゃんと保つということですか?

いや、ユーモアでしょ。こんなになっちゃったと自分達を笑う。おかゆが多い、少ないで言い合いをするという現状やそこにいる自分達を認め、受け入れたということでしょう。「ここ」で生きているわけ。「あっちで生きるな、ここで生きろ」ということ。
病院だと患者同士「シャバを持ち込むな」と言うことがあるんです。みな病院に入ると、社会的な背景は全部剥奪され、ただパジャマを着てベッドの上で並んでる訳だから嫌だよね。そこで権威があるのは医者だけ。新しく入ってきた患者は自分が「どこどこの社長だった」というようなことを言いたがる。それを黙らせるために「シャバを持ち込むな」と言うんです。「その代わり、吐いたり汚したりしても気にするな。ここはシャバじゃないんだから」と。この今の現状という問題の中で生きていくということ、これが「生きていくこと」だろうと思うんです。
自分の会社が倒産しても、貧乏になっても、ユーモアをもってやっていればいいじゃない。自分がお金持ちになったら、いばっていればいいじゃない。そんなことはいつまでも続かないから。これが「その現状で生きること」であり、その変節、ここにユーモアがあると思うんです。現状は当たり前のように続くのではなくて、みんなジジイにもババアにもなる。(中編に続く)

◆森田雄三さん、イッセー尾形さんが中心に行うワークショップ「イッセー尾形のつくりかた」、詳しくはコチラでも紹介しています。
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